2011年02月11日

サヨウナラ。

最後の一匹のウサギが去りました。

2週間ほど前に、3匹のうち若手2匹がもらわれていき、そして先日、残りの1匹を札幌の住宅街に住むお宅に届けてきたのでした。

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全てのウサギが去り、縁側にも静けさが戻りました。



年明け早々から、1月はずっとウサギに明け暮れていたように思います。
特に1月前半は、精神的にも厳しい毎日でした。

殺してしまった子もいますから、こういう表現は相応しくはないのでしょうが、ホッとしている感情があるのも正直なところです。ギリギリのところにいる命とずっと向き合うのは、なかなかキツかったです。

ただ、同時に、すっきりしない、なんとも言えないモヤモヤが残っているのも事実。
「はい、終了!」と、すべてが消えるわけではありません。



しつこいようですが、書き留めておきたいと思います。
1月から今日に至る「ウサギ三昧」の日々をまとめておきたいと思います。



1月2日  
 エサをやりに行った際、ここ数日姿の見えなかった茶色のウサギが両目、両耳、鼻までかじられて失っているのを発見。その日のうちに、置かせていただいていたお向かいの農家さんの納屋からコモンハウスの納屋に5匹とも連れ戻す。
 日が当たるところに出てきてたたずむ姿を見て少し安堵する。

1月3日  
 仮設したウサギ小屋に1匹ずつ分けて入れたまま、どうするのがいいか思案。納屋を開けておくわけにもいかず、気温低下も心配なので、縁側に置くことを決めて段ボールなどでケージを作る。

1月4日   
 縁側に段ボールケージを設置し、ウサギを入れる。

1月5日  
 光が当たるのはいいが気温がやはり低いので、しばしば様子を見ながら過ごす。夜間は布を被せて保温。近所のスーパーで野菜くずをもらえることになる。

1月6日
 新しいケージに入れて3日目。敷いている麦わらを含め、ケージ内が尿で水浸しになっている。底の方はすでに凍っている。敷きわらをすべて取り換え、ケージ内を清掃。

1月7日  
 敷きわらはどうやら1日でベチャベチャになってしまうようだ。四肢が常に尿で濡れた状態のウサギもいる。ケージ内清掃。5匹ともエサはよく食べる。

1月8日  
 毎日5匹分のケージ清掃(1時間以上かかる)をするわけにもいかないので、新聞に尿を吸わせたり敷きわらを厚くするなど試みる。ケージの狭さが気になる。縁側がひどく臭う。

1月9日〜 
 2日に1回のケージ清掃。朝晩のエサやりを続ける。

1月11日〜
 湿気でダメになったケージや巣箱を作り直す。夜間の冷え込みが厳しいため、電気ストーブで縁側を温める。相変わらずケージの清掃に時間はかかる。かじられた茶色ウサギと神経質な黒ウサギが弱っているのに気づく。不衛生であること、湿度が高すぎることが原因と思われる。できるだけ汚れないよう日々細かい改善を試みるも、対応は不十分。

1月17日
 縁側で長期間飼育するためのケージを自分なりに考案し、コンパネ等で制作を始める。

1月18日
 1箱目が完成し、茶色ウサギ引越し(しかし相当弱っている)。残り4匹分のケージを作る。

1月19日 
 朝、茶色ウサギが死んでいるのを発見。出来上がったばかりの2箱目に黒ウサギを入れるも、夕方、黒ウサギも死んでしまう。

1月20日 
 残った3匹を3つの木製ケージに入れる。尿が底にたまらず掃除もしやすい仕組みで、快適そうに見える。こちらもやや安心する。1日1回は風を通すのも忘れずに。エサの野菜くずも定期的にいただけることになり、春まで縁側で世話する環境が整った気がした。

1月22日 
 ウサギのもらい手が見つかり、2匹をケージごと札幌に届ける。

1月23日〜
 朝夕のエサやり、朝の観察と掃除、3日に一度の尿取り(ケージ下のトレイに落ちて溜まる)、夜間の電気ストーブでの加温・・・。残った1匹のウサギの世話が習慣化する。死んだ2匹は冷凍状態で保存(雪を掘って土の中に埋めたいがなかなかそこまでできず。埋葬方法を思案)。

2月6日  
 時間が空いたので、2匹を埋葬。コモンハウス周辺ではなく、河原の木の下の雪の中に埋めてる。彼らにとってはせめてその方がいいような気がした(という勝手な人間の満足だろうけれど)。ともかく春に雪が解けたら、野鼠が食べ、虫や微生物が彼らを土に戻してくれるだろう。

2月7日  
 最後の1匹のもらい手が見つかり、札幌に届ける。



引き取っていただいた3軒のお宅は、どこも品のよさそうな家族で、幼い子どもがとても喜んでくれました。「ウサギの幸福」など僕にはわからないけれど、少なくてもコモンハウスの縁側よりはるかに快適な環境だし、はっきりと「ペット」という立場で大事に飼ってもらえると思います。



ウサギについては、このブログでもしつこくいろいろ書いてきたのでもうこの辺で終わりにしますが、最後に一つ心残りを記すなら、「ミミナシくんには生き続けて欲しかった」ということです。

彼をそうしてしまった自分の責任として、ずっと彼の世話をしたいと思ったし、人間の作った“不自然”な環境によって傷ついた姿をいろいろな人に見せて欲しかったからです。
そして、そんな体になって尚、生き続ける姿を見せて欲しかったからです(そこに悲壮感を持つ“人間的”な感情を超え、飄々と生きていていて欲しかった・・・)。

彼はいろんなことを僕に感じさせ、考えさせ、教えてくれました。
彼の姿から、僕たちはいろんなことを学ぶことができたはずなのです。

だから、今でもとても残念です。



せめて、春になったら、彼が朽ちていく姿を見にあの木の下に行ってみたいと思います。
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サヨウナラ、5匹のウサギ。


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(・・・元気な時のミミナシくん)
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2011年01月21日

ごめん。

ウサギが2匹、死にました。
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年明け早々から、ひたすらウサギ対策に明け暮れてきた3週間でした。
毎日毎日気になって、でも、適切なことができず、挙げ句弱らせ、死に至らしめてしまいました。

いろいろな思いで過ごしてきたので、あまり言葉になりません。
このところ日に日に弱っていくのを感じていたし、覚悟もしていましたから、「ダメだったか…」と思ってはいます。
けれど、どこか、本当に死んでしまうとは思っていなかったところもあります。

申し訳ない気持ちと、残念な気持ちが、やっぱり強いです。
人間の幼稚な行いのために目も鼻も耳も失ったあの醜いウサギ(「ミミナシくん」と呼んでいました)には、どうしても生きていてもらいたかったのです。
(もう1匹は、かなり歳をとっていましたから…)

僕は、ミミナシくんをこの先もコモンハウスで飼っていくつもりでいました。
死んでしまえば、「カワイソウなことしたね」で、終わってしまいます。
「そういう失敗がありました」と、ただの過去になって、僕たちは忘れていきます。
どんな悲劇であれ、死は気楽なものですから。
生き続ける方がずっと、厳しくて重たいですから。

いや、そもそもこんな言葉をどれだけ連ねようと、このウサギの一件を感じ取ってもらうことはできないでしょう。
「ウサギやハムスターなどのげっ歯類はなわばり意識が強い」
「共食いすることもある」
と、知識ではわかっていても、単なる知識と実際にそれまで一緒にいた仲間に食べられかけたウサギを見るのとは違います。
傷つき醜くなり、それでも生き続ける彼の姿を実際に見てもらうことでしか、感じてもらえないように思ったのです。
だから、僕は彼を、多くの人が訪れるこの場所で飼っていきたかったのです。
(もちろんそれだって、人間のエゴでしょうけれど)



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コンパネで新しいケージを作ったばかりでした。
春までここで飼う覚悟で、自分なりにいろいろ工夫して作ったケージでした。

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近所のスーパーの青果コーナーの方に頼んで、クズ野菜をもらう約束もしていました。


昨年5月に2羽の鶏が殺されたとき、僕は発見後すぐに解体し、鶏ガラと肉でスープを作りました。
いちいち考えるまでもなく、「ちゃんと食べてやる」ために動いたのです。
でも、このウサギを食べる気にはなりませんでした。
本当はキツネにでも食べてもらえば、キレイな物質の循環に還してあげられるのでしょうけど、そうする気にもなりません。

雪を掘って、土に埋めてやろうと思います。
新しい麦わらと一緒に、埋めてやろうと思います。
無意味なのだろうけど、その前で、たぶん手を合わせると思います。
そうせずにいられないだろうし、今となってはもう、それしかできないからです。


ダンボールで作ったケージは、今日、燃やしました。
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posted by 野良人イトウ at 22:48| Comment(1) | 家畜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月17日

絶対条件。


動物の飼育の仕方には様々な方法があり、それは動物の種類によっても違うと思いますが、大きく分けて2種類あると僕は思っています。

わかりやすいので、まずは鶏の飼い方で考えてみたいと思いますが、現在(羽数上)一般的といえる飼育は、「ケージ飼い」です。実際に見た方はほとんどいないと思いますが、イメージはあるのではないでしょうか。小さな籠がマンションのようにびっしり積まれているアレ、です。
近代養鶏は、効率よく肉や卵を“生産”するために鶏をケージに詰め込み、エサや気温、光などを人工的に管理する方向にすすんできました。そうすると鶏自体の生命力は弱まり、微生物のバランスも崩れますから、当然病気になりやすく、感染予防のために“消毒”が必要となり、抗生物質などの薬が必要になってきます。
もっとも大変なのは糞の処理です。
常に人間が(というか近代養鶏では機械が行うのでしょうけど)糞を処理しなければ、あっという間に鶏は“汚染”されてしまいます。

それに対して「自然養鶏」という飼い方があります。基本は「平飼い」。土の上で自由に動ける状態で飼う方法です。
この場合、先ほどの糞の問題はグッと楽になります。糞の処理は、土が行ってくれるからです。土と言うか、土中の微生物が「処理」してくれるんですね。日光や空気(風)による風化も大きいと思います。鶏自体も土を掻いて糞の処理に一役買いますから、人間が手を出す必要はほとんどなくなるのです(もったいないので定期的に「鶏糞肥料」を取り出しますけど)。
日常的に風に当たり、日光に当たり、土の上で生きるからこそ、鶏は健康を保つのだと感じます。多少寒くたって、全然平気。元気です。

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ただ、平飼いなら問題がないわけではなく、イジメもありますし、普通は糞も定期的に取り出し新たにもみ殻やワラなどを入れる必要があります。
そのあたりは、結局“密度の問題”なんだと思います。
平飼いだとしても、高密度で飼えばそれだけストレスにさらされるようになります。土が糞を分解する許容量にだって限度があります。土だって、処理しきれなければ汚染されていきます。
逆に言えば、本来適正な密度で生息している限り、すべては“自然”がうまくまわしてくれるってことです(野生の生き物が皆、自然の中で食も糞もキレイに循環させながら生きているように)。



結局、人間が動物を飼育するということは、“不自然な状態”の中で、生命力を活かすギリギリを見極めるってことだったんでしょうね。

人間だって、生物学的に適正な密度で生きれば、糞尿の処理など問題はないのだと思います。もよおしたら、適当なところに穴を掘って埋めときゃいいんです。
本来あり得ない高密度で生活しているからこそ、排泄物は廃棄物(ゴミ)となり、汚染物質となるんですね。
途上国で起こる“衛生問題”も、人間が土と切り離され、その土地の許容量を超える個体数(人口)になることが原因なのだと思います。

牛など家畜の糞も、人間の排泄物も、現代社会では気の重たくなるようなゴミでしかありません。
生態系の中では、他を生かすための貴重な循環物質であるはずの糞尿がゴミになってしまうのは、密度を超え大地から切り離されたからなのでしょう。



翻って、ウサギの問題です。
(最近あまり書いていませんでしたが、本当は、日々頭を悩ませています。というか、毎日朝夕、世話をするたびに陰鬱な精神状態になってしまいます。全く解決していないのです)

とりあえず縁側に移し、個別のケージ(段ボール製)を作って飼っています。気温の低さや狭さも問題ではありますが、現在一番困っているのが、先ほどから書いている“糞尿の問題”なのです。

糞と言うより、難しいのは尿です。
あっという間にケージ内がベチャベチャになってしまうのです。
ワラを入れても、そんな程度で処理されるものではなく、雑巾で何度も拭き取らなければならない状態です。だから、ウサギの四肢はいつも濡れています。
しかも、縁側は寒くて半分は凍ってしまいますから、氷水の上にいるような感じだと思います。
3〜4日に1回掃除すればいいかと思っていましたが、結局、ほぼ毎日ワラを変えキレイに拭き取らなければならず、作業を軽減するためにペットシートを敷いています(それでもあっという間にベチャベチャになってしまいます)。

↓写真ではわかりづらいと思いますが、上から敷きワラを足してもすぐにベチャベチャになってしまいます。
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トレイを入れてますが、ボタボタと尿が滴ります。
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掃除後。つかの間、僕もホッとします。
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じゃあどうすればいいのか、といえば、本当はたぶん土なんでしょうね。
土の上にいれば、その程度はすべて処理してくれるのだと思います。
よく、「野生のウサギは氷点下20℃でも生きてる」などと考えてしまいますが、土から切り離されて籠の中に閉じ込められている“不自然なウサギ”と比較はできないですよね。



生物にとって必要なものについて、最近よく考えてしまいます。

自然卵養鶏の大御所、中島正さんは、自然養鶏に不可欠な絶対条件として「新鮮な空気」「日光」「大地」をあげていますが、これは、人間を含むほぼすべての動物に欠かせない要素なのだろう、と思えます。
それらと切り離されたことで起こる様々な問題に、僕たちは日々追われているんだな、と感じます。
身体の変調も、精神の歪みも。



とはいえウサギ、少しでも環境改善するように対応しなきゃならないです・・・。
不可避な、目の前の、現実の問題として、一刻も早く。


posted by 野良人イトウ at 08:00| Comment(0) | 家畜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月06日

吹雪の一日。


写真じゃよくわからないと思いますが、長沼、今日はけっこうな吹雪です。
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朝の気温が−7℃くらいでしたから、最近では冷え込みも厳しかった方だと思います。


けれど、
「間に合って良かった!」
と、気持ちが少し穏やかでいられるのは、昨日までにウサギの移動が終わっているため。
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コモンハウスの縁側ですから、決して暖かい場所とは言えませんが、当然外寄りは随分マシですし、何より陽が入ります。
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スーパーからいただいてきたキャベツの葉をぽりぽりかじっています。
(この子は元気な子です)


段ボールと百円ショップで買った金網でつくったウサギのゲージ、金額でいえば総額2000円くらいのものですが、実は結構な労力がかかっています。
2日の昼に、まずお向かいの納屋からコモンハウスの納屋に移動して、どうするか思案し、縁側で飼うことを決めてからは段ボールケージづくりが始まりました。
ケージづくりにも(他の仕事もしながらですけど)2日かかりました。

こういうのも、時給換算なんかすればまさに「買った方が安い」って話でしょう。でも、自己満足かもしれませんが、こうやって作る過程が重要なんじゃないか、とも感じます。
作りながら、いろいろなこと、考えますからね。
ウサギたちのこと、いろいろ考えつつ、自分が日々世話するときの機能性についても。

具体的な「形」を作り出すために手を使うことによって、脳や心がまた、活性化していくのを感じたりもします。



好意でご自分の納屋にウサギ小屋を作って下さったお向かい農家さんには、あらためてお礼をしつつ状況をお話しし、使わせていただいた小屋を片づけました。
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昼間の一番明るい時間帯でこんな感じで、ウサギたちにはほとんど光が入らない状態でしたから、その点だけでも厳しい環境だったのだろうと、あらためて思いました。
奥の方はまったく人間には見えませんし…。

とにかく、太陽の光、偉大です。
「命の源」なんだと、ウサギの様子を見ながら、今更ながら実感しています。



今日はあまりお日様は見えず、激しく雪まじりの風が吹いていますが・・・・
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にゃんこはぬくぬくと寝ています。
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posted by 野良人イトウ at 10:59| Comment(0) | 家畜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月04日

ウサギ。

新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
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お正月のコモンハウス。初日の出がきれいでした。

盆だから正月だからと言って、のんびり休んでいたいとは全然思わないのですが、僕も一応帰省なんかして、年越しは旭川の実家でしたのでした(親孝行です)。
「ごめんよー」と言いながら鶏と猫とウサギに2日分のエサをやり暇を戴きまして、元旦は久しぶりにのんびりと(そういや、昨年は元旦から老人ホームの介護に出ていました)。まあ、エサやりなど習慣になってることをしないのは、かえって落ち着かなかったですけどね。



さて、こうして迎えた新年。実は、気の重い日が続いています。
卯年となって早々なのですが、…ウサギのことです。

どこから記せばいいでしょうか・・・。

僕が腰痛で倒れて戦線離脱したのが11月後半、ウサギが外で飼われているのを心配したお向かいの農家のオジサンがご自分の納屋にウサギ小屋を作ってくれたので移動したのが12月初め。
それから、お向かいの納屋にエサをやりに行く毎日が続き・・・、約1カ月経ちました。

で、結論から言いますと、現在、ウサギたち、またコモンハウスに戻っています。
何があったかと言いますと、1匹のウサギが(たぶん)同じ小屋に入っていたウサギにヤラレてしまったからです。

その程度があまりにもひどいので、ちょっと冗談を言う気にも、ユーモラスにお伝えする気にもなりません。かといって、現実の様子をこと細かく書き記すことも難しいです(死んではいません。が、生きていることが逆に苦しくなるような状態としか書けません)。

ただ言えるのは、あるべき環境を狂わせることで、動物だって簡単に歪んでいき、狂気を帯びてしまうのだということです。
鶏が仲間の尻つつきなどをするのを(時として殺すまで続けてしまうのを)「鶏の残酷性」として表現されることがありますが、やっぱりあれも違うんですよね。鶏を狂わせているのは、人間なのだと思います。適正な環境で生きているなら、そんなことにはならないんじゃないでしょうか。問題は、過剰な、いや異常なストレスなのだと思います。



今回のウサギの件を考えると、まず引越しをして大きく環境が変わったこと(←これはどんな動物・植物であっても危険ですよね)。
引越しした小屋が納屋の中で、ほとんど陽が当たらなかったこと(←ウサギは夜行性の動物ではありますが、それでもなお、太陽の光は絶対的に必要不可欠なのだと感じます)。
そして、半ばわかりつつ(大丈夫かな、と過信して)そうしてしまったのですが、ケージには1匹ずつ入れるべきでした(←特にオス同士は縄張り争いがあります)。
冬に向かう気温の低下、エサの減少(←エサはそれまでの青草がなくなり、少量のクズ野菜と穀物を与えていましたが、穀物はあまり好みませんでした)。

環境悪化によるウサギのストレスは、おそらく想像を絶するものだったのだと思います。
動物の飼い方にはいろいろあり、同じウサギでも完全にペットとして室内で飼うものと外の小屋で飼うようなウサギでは、生きる環境が全く異なります。が、それでも密度や気温、湿度、太陽、土、空気、水、エサ、衛生状況などの様々な環境要因やウサギ自身の健康状態や体力、免疫力などが関連しあってストレスの程度が決まるのでしょうし、生き延びられるかどうかも決まるのだと思います。
(今だから判断できますが)総合的に見て、今回の環境は決してストレス少なくいられる状況ではありませんでした(もちろんお向かいの農家さんの問題ではなく、僕の判断の甘さが原因です)。

ウサギ自身の状況に加え、一番の管理者である僕の目がほとんど行き届かない場所だったことが致命的でしたし、僕の体調が不完全だったことも大きく影響しました。
当たり前ですが、動物を飼うということは、エサをやりさえすればいいのではないのです。



ウサギの変化には、年末から気づいていました。
耳がかじられているのを見つけたのです。
けれど、お借りしてる小屋であることや僕自身の体調がすぐれなかったこと(エサを毎日やるので精一杯でした)、そして暗くて状況があまり見えなかったことなどもあって、気になりつつ具体的な対処を先延ばしにしていたのです。

そして昨日、1月2日。
ウサギ年になって2日目の朝に、信じがたい悲惨な状態になっているのを見つけてしまったのでした。
(しかも、僕がのんびり過ごすために1日放っておいた直後に…)



とにかく、すぐにでもどうにかしなければならないと思い、まずはヤラレてしまったウサギを早急に隔離することにしました。
1匹だけを連れてくることも考えました。が、その小屋が太陽の光が全く当たらない状態であることも気になっていたので、目の行き届く状況にするためにも、すべてのウサギたちを連れ戻しました。
そして簡易なものですが、コモンハウスの納屋の入り口近くに小屋を設置し、ウサギを個別に入れました。

ウサギがどんな反応をするのかは正直わかりませんでしたが、気づけばウサギたちは皆、太陽の当たるところに出てエサを食べたり昼寝をしたりしていました。
彼らが、太陽の光を欲していたのが伝わってきました。
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この先、このまま納屋でひと冬越すことは(気温的にも)現実的ではないように感じるので、コモンハウスの縁側に巣箱を作って入れることを考えています。
エサも、麦をあまり食べないので困っていましたが、近所のスーパーの青果コーナーで出るクズ野菜を分けてもらえもらえました。
しばらくは、こうして、少しでも環境が改善するよう、努力したいと思っています。



・・・が、果たして何のために自分がウサギの世話をしているのか、実はわからなくなりつつあります。
卵を産む鶏とはやはり違いますし、家族に近い存在である猫とも違います。
「いらないかい?」と言われるまま、「除草してくれたらいいねー」と軽くもらってしまったウサギたち(しかも大して除草はしませんでした…)。
生き物の命を管理することの厳しさを今更ながら実感しています。

そして、方や玄関に侵入したネズミを僕は殺したりもするわけです(今朝の出来事です)。

鶏と猫とウサギとネズミの・・・・「命」の違い。
結局は僕の感情、評価次第なんです。



「どうしたもんかなあ・・・」「飼いつづけられるのか?」「このウサギは家畜?それともペット?」「本当なら食べるべきなのかも?」と頭と心を悩ませ、迷いながら、それでもウサギの巣箱を作り、エサを得るのに奔走する自分がいます。
・・・こんなに時間と手間をかけて、何やってんだ僕は?と再びグルグルしつつ・・・・。

答えは未だ見つからず。
けれど、太陽に当たって気持ちよさそうに見えるウサギたちを見ていると、それだけで心からホッとしている自分がいた・・・そんな1月3日でした。

現実的な問題も、何一つ解決してはいないのですが。


posted by 野良人イトウ at 01:12| Comment(1) | 家畜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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