2週間ほど前に、3匹のうち若手2匹がもらわれていき、そして先日、残りの1匹を札幌の住宅街に住むお宅に届けてきたのでした。
全てのウサギが去り、縁側にも静けさが戻りました。
年明け早々から、1月はずっとウサギに明け暮れていたように思います。
特に1月前半は、精神的にも厳しい毎日でした。
殺してしまった子もいますから、こういう表現は相応しくはないのでしょうが、ホッとしている感情があるのも正直なところです。ギリギリのところにいる命とずっと向き合うのは、なかなかキツかったです。
ただ、同時に、すっきりしない、なんとも言えないモヤモヤが残っているのも事実。
「はい、終了!」と、すべてが消えるわけではありません。
しつこいようですが、書き留めておきたいと思います。
1月から今日に至る「ウサギ三昧」の日々をまとめておきたいと思います。
1月2日
エサをやりに行った際、ここ数日姿の見えなかった茶色のウサギが両目、両耳、鼻までかじられて失っているのを発見。その日のうちに、置かせていただいていたお向かいの農家さんの納屋からコモンハウスの納屋に5匹とも連れ戻す。
日が当たるところに出てきてたたずむ姿を見て少し安堵する。
1月3日
仮設したウサギ小屋に1匹ずつ分けて入れたまま、どうするのがいいか思案。納屋を開けておくわけにもいかず、気温低下も心配なので、縁側に置くことを決めて段ボールなどでケージを作る。
1月4日
縁側に段ボールケージを設置し、ウサギを入れる。
1月5日
光が当たるのはいいが気温がやはり低いので、しばしば様子を見ながら過ごす。夜間は布を被せて保温。近所のスーパーで野菜くずをもらえることになる。
1月6日
新しいケージに入れて3日目。敷いている麦わらを含め、ケージ内が尿で水浸しになっている。底の方はすでに凍っている。敷きわらをすべて取り換え、ケージ内を清掃。
1月7日
敷きわらはどうやら1日でベチャベチャになってしまうようだ。四肢が常に尿で濡れた状態のウサギもいる。ケージ内清掃。5匹ともエサはよく食べる。
1月8日
毎日5匹分のケージ清掃(1時間以上かかる)をするわけにもいかないので、新聞に尿を吸わせたり敷きわらを厚くするなど試みる。ケージの狭さが気になる。縁側がひどく臭う。
1月9日〜
2日に1回のケージ清掃。朝晩のエサやりを続ける。
1月11日〜
湿気でダメになったケージや巣箱を作り直す。夜間の冷え込みが厳しいため、電気ストーブで縁側を温める。相変わらずケージの清掃に時間はかかる。かじられた茶色ウサギと神経質な黒ウサギが弱っているのに気づく。不衛生であること、湿度が高すぎることが原因と思われる。できるだけ汚れないよう日々細かい改善を試みるも、対応は不十分。
1月17日
縁側で長期間飼育するためのケージを自分なりに考案し、コンパネ等で制作を始める。
1月18日
1箱目が完成し、茶色ウサギ引越し(しかし相当弱っている)。残り4匹分のケージを作る。
1月19日
朝、茶色ウサギが死んでいるのを発見。出来上がったばかりの2箱目に黒ウサギを入れるも、夕方、黒ウサギも死んでしまう。
1月20日
残った3匹を3つの木製ケージに入れる。尿が底にたまらず掃除もしやすい仕組みで、快適そうに見える。こちらもやや安心する。1日1回は風を通すのも忘れずに。エサの野菜くずも定期的にいただけることになり、春まで縁側で世話する環境が整った気がした。
1月22日
ウサギのもらい手が見つかり、2匹をケージごと札幌に届ける。
1月23日〜
朝夕のエサやり、朝の観察と掃除、3日に一度の尿取り(ケージ下のトレイに落ちて溜まる)、夜間の電気ストーブでの加温・・・。残った1匹のウサギの世話が習慣化する。死んだ2匹は冷凍状態で保存(雪を掘って土の中に埋めたいがなかなかそこまでできず。埋葬方法を思案)。
2月6日
時間が空いたので、2匹を埋葬。コモンハウス周辺ではなく、河原の木の下の雪の中に埋めてる。彼らにとってはせめてその方がいいような気がした(という勝手な人間の満足だろうけれど)。ともかく春に雪が解けたら、野鼠が食べ、虫や微生物が彼らを土に戻してくれるだろう。
2月7日
最後の1匹のもらい手が見つかり、札幌に届ける。
引き取っていただいた3軒のお宅は、どこも品のよさそうな家族で、幼い子どもがとても喜んでくれました。「ウサギの幸福」など僕にはわからないけれど、少なくてもコモンハウスの縁側よりはるかに快適な環境だし、はっきりと「ペット」という立場で大事に飼ってもらえると思います。
ウサギについては、このブログでもしつこくいろいろ書いてきたのでもうこの辺で終わりにしますが、最後に一つ心残りを記すなら、「ミミナシくんには生き続けて欲しかった」ということです。
彼をそうしてしまった自分の責任として、ずっと彼の世話をしたいと思ったし、人間の作った“不自然”な環境によって傷ついた姿をいろいろな人に見せて欲しかったからです。
そして、そんな体になって尚、生き続ける姿を見せて欲しかったからです(そこに悲壮感を持つ“人間的”な感情を超え、飄々と生きていていて欲しかった・・・)。
彼はいろんなことを僕に感じさせ、考えさせ、教えてくれました。
彼の姿から、僕たちはいろんなことを学ぶことができたはずなのです。
だから、今でもとても残念です。
せめて、春になったら、彼が朽ちていく姿を見にあの木の下に行ってみたいと思います。

サヨウナラ、5匹のウサギ。
(・・・元気な時のミミナシくん)