2012年10月26日
小屋の背中に絵を描いています。
表から見たら想像つかないような、全然雰囲気の違う面にしようと思っています。
昨日は気温がずっと一桁。風吹いたり時折雨降る中で1日中描いてたので、体が冷え冷えになりました。
それなりに着込んでましたが、でもやっぱり寒かったー・・・(集中して描いてるときは平気なんですけどね)

ポッポちゃんも見にきました。
豆の刈取りとか、やんなきゃならんことはたくさんあるんだけど、そんなこと言ってたら絵なんか描けないので、思い切ってやっちまいました。
もう2日ほどやったら完成するかなあ。
こんなふうに絵を描くのはホントに楽しいです。
夜は、収穫祭用のヒョウタンの準備。
これに絵付けをしてもらおうと思っています。

日曜日の収穫祭(今年は関係者だけでやります)に向けて、いろいろ準備中。
でも、畑もやらなきゃならないし、外に働きに出る時間も必要。
ああ、時間が足りないなあ。
1日が50時間くらいあったらいいのに。
posted by 野良人イトウ at 07:20|
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2012年10月12日
N’DANAのマサトさんが雨竜高等養護学校でライブやるので、お手伝いかねて行ってきました。13時開演予定だったけれど、11時くらいから搬入するってんでその時間に入って、セッティングの手伝い・・・と思ったけど大してやることはなく、久しぶりに会ったマサトさんと雑談。

雨竜高養は今年の2月に豆腐づくりのワークショップで来たけれども、この養護学校の雰囲気はやはりとっても懐かしい・・・。学校独特のユニークさと息苦しさなど、良くも悪くも変わらない感じ。(話は逸れるけれど、学校って、そもそもの設定も空間内の人的物理的環境もほぼバーチャルであるという点において、とても「慎重であるべき場」だと思います。過保護にするってことじゃなく、まずは周りの大人が「不自然な空間」であることを認識してる必要があるんじゃないかな…)
さて、ライブですが、予想通りの盛り上がりでした。
率先して踊り出す生徒さんがいたりして、マサトさんの鳴らす「大地に近い音」をしっかり受け取ってるなーと嬉しくなりました。
僕自身も、久しぶりのタイコの響きにシビレていました。

余談ですが、以前勤めていた美深の学校時代の同僚の先生方数人と7,8年ぶりくらいの再会も・・・何とも照れくさく、でも嬉しいひと時となりました。
posted by 野良人イトウ at 05:54|
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2012年08月17日
たとえば、映画でもドラマでもいいけど観ていて、登場人物がみんなピカピカの善人だったら、なんだかイライラしませんか?
・・・僕は、します。
イライラっていうかね、そのお話に興味が失せてきてしまうんです。
そんな人たちでつくられる物語、深みが出ないような気がして。
同様に、「コイツは100%悪人」って人物もいただけない。
まあ、「悪い奴」がいないと話が動かない、ってのが一般的な物語かもしれませんが。
現実の、冷酷無比な猟奇殺人犯について何を思うかといえば、事件は事件として「とんでもない」けれど、どこか人間としてのソイツに興味は湧いてしまいます。「小さいころどんなだったんだろ?」とか「食べ物何が好きなんだろ?」とか。「どんな音楽を聴くんだろ?」とか。
100%の「善人」なんているわけないし、もちろん「悪人」もいない。
そもそもこの世のほとんどのこと、「善」「悪」に振り分けられない。
見る角度によって、色も濃淡もいくらでも変わってしまう。
人間は、簡単に間違いを犯します。
誰でも、人を傷つけてしまいます。
望もうと望むまいと、偶然の出来事で事態はいろんな方向に転がっていくもの・・・だと僕は思っています。
もちろん、誰かを救い、喜ばせる可能性だって、全員が持っています。
(そして、誰かが救われた陰で別な誰かが泣いている、なんてこともしょっちゅう起こるでしょ)
人間ってそういう存在ではないでしょうか。
以前、小学校で勤めていてクラスでちょっとした事件が起こった時、僕はたくさんの保護者に向かって「子供は全員ウソをつきます」って主旨のこと言いました。どうしても理解してもらえない方がいたけれど、今でも僕は今でもそう思っています。
「子どもは(もちろん大人もだけれど)全員、ウソをつく可能性がある」
それは子どもを「信じない」ってことではありません。
「ウソをつくことだってあるし、醜いことをすることだってある」というのは、人間としての大前提だと思うんです。それを認めた上で、「された側の感情」や「互いに気持ちよく過ごすための術」を学んでいく場をつくるのが僕の仕事だと思っていました。
それは、「人間の成長を信じる」ことです。

「いじめの問題」を、国や自治体や教育委員会や学校や教員や親がどうしていくのかなあ…(そこだけ取り立てたってどうしようもないだろうなあ…)、と新聞を見ながら考えていたとき、『SUNNY』の第2巻が出ているのを見つけました。
松本大洋の著作、デビュー当時から大好きで読んでいますが、ここ数年は遠ざかっていました。
でも、この『SUNNY』は、すごいです。
養護施設が舞台なので物語は基本的に子どもが中心。でも、みんなたくましい。決して「いい子」じゃないし人間関係も混沌としているけれど、いろんな思いを抱えながら生きている。親がいないわけじゃなく、親がいるのに施設に預けられているという複雑な家庭環境で、子どもたち全員が目の奥に暗いものを持ちながら、でもおおむね日々、ゲラゲラ笑い、しょーもないことでケンカし、ボヤいたり喜んだりして暮らしている。
「悪い奴」はいない。
完全な「善人」もいない。
迷いつつ、ウソついたりズルしたり頑張ったり諦めたり傷ついたり傷つけたりを繰り返して、成長していく・・・
そんな当たり前の世界を、人間を、とてもとても誠実に丁寧に描いている『SUNNY』、今僕が一番好きな漫画です。
ちなみに「サニー」は、園に放置されている廃車。そこは子どもたちだけが使える空間なのです。

posted by 野良人イトウ at 07:29|
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2012年08月10日
posted by 野良人イトウ at 06:31|
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2012年07月13日
3年ぶりに、ギリヤーク尼ヶ崎さんを見ました。
風がびゅうびゅう吹きつける寒空の下、古びたバッグを引きながらギリヤークさんが現れ、準備を始めます。

年齢のことを気にされるのはご本人も不本意かもしれないけれど、それでも81歳で未だ現役という時点で、なんかもう圧倒されてしまいます。
「現役」というのは、舞踏家として、とか大道芸人として、というより、身の振る舞いやたたずまいすべてが、「現役でギリヤーク尼ヶ崎」だという意味です。
30分ほどの公演・・・
いつもの半分伸びたテープレコーダーの音を背景に、アスファルトの上を転げまわり、叫び、水を浴びてのた打ち回るギリヤークさん。
「悲しい」でも「楽しい」でもない30分。
喜怒哀楽のすべてが詰め込まれたギリヤークさんの踊りでした。
それは、「生きるってことそのものだ」と僕には感じられました。
そして、ギリヤークさんの言葉通り「震災で亡くなった方に捧げ」ていることが激しく伝わってきました。
誰かが死に、自分は今日もこうして生きている・・・
その不条理に対する悲しみや感謝や怒りのすべてを込めて踊っているようでした。

公演後「また新しい動きが見つかりました!」と嬉しそうにしていたギリヤークさん。
踊りのことは僕にはよくわからないけど、その笑顔はまさに無垢な少年でした。
一時入院もされていたようで、現在もペースメーカーを常につけているそうですが、「あと7年、50周年までは頑張ります!」とのこと。
よし!
僕も負けずに、しっかりと今日を生きよう!!
posted by 野良人イトウ at 06:38|
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