毎年5月の前半に、「春の道草喰い」をします。
文字通りそこらの道端に生えている道草、野草、雑草の類を食べる会です。
メジャーな山菜ではなく、「草」ってとこがキモ。
普段は見向きもされない・・・というかキラワレちゃって邪魔モノにされがちな「草」とゆっくりしっかり向き合う日なのです。
さて、10数名のゆるビレメンバーが集まって、10時過ぎから作戦会議。
だいたいどんな草が最近生えているかを僕から伝え、調理方法をみんなで相談しざっくりと決めました。
メニューの概要と担当者が決まったら、いよいよ表で観察・採取です。
野草初めての人もいれば、そこそこ活用している人もいますが、バリバリの知識・経験を持った方はいません。
僕も含めてみんなシロートなので、互いに持ってる知を寄せ合って「食材」を集めていきます。
「これがエゾニュウ?」
「これはシャクかな?」
「イタドリは酸っぱいね!」
「これは自信持って採れるなあ」
フキですねー。
今回採取した食材は、ギシギシ、シャク、イタドリ、ヨモギ、エゾニュウ、ツクシ、フキ、イラクサ、タンポポ、オオバコ、クローバ、コンフリ、アサツキ、スギナ、ミツバあたりでしょうか。
(あと数種は食べられそうな草がありましたが、確定できないものは今回はやめました。種がある程度はっきりして僕が毒見をしたら、来年は食材に加えるかな(笑))
あ!草の写真も撮って載せれば良かった、と今思いました・・・が、それは項をあらためて「野草食記」として記したいと思います。
グループごとに調理開始。
(・・・と、この時点ですでに11時半。野草は下拵えに時間がかかりますから、どんどんお腹がすいちゃいますね。今後、野草の会は9時開始にしたほうが良さそうです)
それでもみなさん和やかに、そして実に手際よく協力しながら調理をすすめてくれました。
さすがゆるビレのみなさんです。
デザートのヨモギだんご、ヨモギ摺りは大変・・・。
ズラリ並んだのは、定番の天ぷら(これはハズレなし!)、おひたし(逆に素材の特性がはっきりわかってオモシロイ)、胡麻和え、白和え、オムレツ、チジミ、各種キンピラ、味噌汁です。
ご飯には、茹でてみじん切りにしたスギナが混ぜ込んであります。
「さあ、いただきまーす!」
天ぷらは予想通りどれもとっても美味でしたが、僕的に今回のヒットはオオバコの胡麻和えとタンポポの根のかき揚げかな。
エゾニュウは野性味が強過ぎてキビシー!感じでしたが、これはアク抜きなどの下ごしらえによって随分変わると思います。
食後にひと仕事してもらった後はお楽しみのデザート。
(当然自家製の)あんこと一緒に食べるヨモギ団子です。
今回もお腹いっぱい春の恵みを味わいました。
食べ慣れない人は野性味がお腹でひと暴れしそうなくらい、たっぷりといただいてしまいました。
満足、満足。
ともかく、道端から得られるものたちで、こんなに豊かな食がいただけるのです。
自分で栽培にすることよって「食べ物はお金を出して買わなければならないもの」という概念から脱することができますが、さらに「タネすら播かなくても食材はある」ってことに気づくと、何だかとっても嬉しくなります。
自分の生命に対しての安心と自信が蘇ってくる気がするのです。
この星は、「そのまま」で十分豊かなんですよね。
僕は、人間はこれまでたくさんの「やっちまった…」を繰り返してきたと思っていますが、その最たるものが「農」だと考えています。
1万数千年前に、タネを播き、栽培をし始め、(もしくは動物を管理して飼い慣らし始め)自然を思うままにしようとしたこと、自然を自分の都合で扱えると思ったところに、根本的な「やっちまった…」があると思っています(原発や遺伝子組み換えも、結局はその果てにある行為じゃないかな)。
が、今更それを言っても仕方がないし前を向いて考えるしかないわけで、僕らに今できることは「せめてマシな農の姿」を見つけて実践していくことと、こうしてたまには道草を喰って「ありのままの自然でも結構イケる!」って再確認することじゃないでしょうか。
・・・などという思想も、もう口にする必要がないくらい、「道草喰い」は楽しいのでした。
わいわいと話しながら採取し、調理する。
これはあんな味付けでも合うかも、とか言いながら味わって、その思いを持ち帰ってまた自分でやってみる。
体がびっくりしながらも喜んでいるのがわかってきます。
それで十分かもしれません。
「道草喰い」も、続けていきたい活動の一つです。
ただ、付け加えると、野草の場合、アク抜きがとっても重要。先日の活動ではすぐに調理しちゃいましたが、本当はそれなりに時間と手間をかけることが大事で、ぐっと食べやすくもなります。
イタドリは今がまさに旬なので、ここ数日ウチではせっせと皮むきをして、水につけています。
そうすることで、「これが食材!?」から「あ、これは食材。」に化けます。
ありがたいありがたい先人の知恵。