2015年01月07日

からだの声。

僕は病院がキライです。
いや、そんなの、憩いの場にしてるじーちゃんばーちゃん以外で好きな人はいないだろうけど、基本的には薬も飲まないし、医療に限らず近代思考・技術の大半は「生命力の軽視」が根底にあると思っているので、極力近寄りたくないと考えています。

だから、12月26日の夜から始まった体調不良も当然「寝て治す!」つもりでした。
せっかく自分の免疫力がウイルスか何かと戦っているのに、薬でそれらを殺して熱を無理やり下げるなんて。
鼻水だって排出作用なのだろうし。
「自分の体の生命力・回復機能を信じるのだ!」
「食欲がない、という体の声を聞けばいいのだ!」
そう考え、39度の熱が続いてもじーっと寝床でふんばっていたのでした(まったく食欲ないのでほぼ絶食)。
29日のお昼までは・・・

一旦は37℃後半に下がりかけた熱が3日目にして再度39℃半ばに上がってきた時、さすがに「この時期いつまでも寝てるのはイヤだ!」って気持ちが大きくなってしまい、通院を決めました。
適当に決めた栗山町の個人病院は、施設はとても立派でしたが医者の対応は(想定通り?)のもので、交わした言葉は「じゃあ検査するよ」「ちょっと痛いけど我慢して…」グリグリグリ…(鼻に試薬を突っ込まれ)「ああ、(つまらなそうに)A型だね」「じゃあ薬出すのでそちらで受け取ってください」・・・以上。
問診もこちらの顔を看ることも触れることもなし。
「高熱続きで大変でしたねー」なんて言葉もあるわけはなく、熱でヤラレた腰痛のためマトモに歩けなかったのだけれどそれも完璧にスルー。
こちらがイメージする「ザ・医者」(←もちろん悪い意味で)って感じで、逆に清々しい気分になってしまいました。
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もらってきたタミフルと解熱剤を摂ると、あっという間に熱は下がり、その後は回復に向かうのですが、微熱や咳、鼻水、不快感はしばらく続き・・・
年末から年始にかけた1週間以上を酒はもちろんコーヒーも飲まずに過ごしました。食欲不振が残ってるので、胃に負担かかりそうなものもほぼ食さず。・・・こんなのって高校生以来かも。

今は熱こそないものの、咳が止まらず、ドンヨリした頭痛と不快感が残っている感じ。
あそこで通院して薬を飲み始めていなかったらどうだったのかなー、なんて考えます。
おそらく僕の体としては、「せっかくもう一息でウイルス殲滅して回復に向かうところだったのに〜」「もう、この後ワシはどないせえっちゅうねん!」って気分だったことでしょう。
今更ですが、自分の体さえしっかりしていれば「寝て治す」の方がいいのだろう、とあらためて思っています。
昨日会ったお豆腐屋さんのおじさんに「なんで治りが悪いかわかるか?」「・・・それはもうアンタも歳だってことだ!」・・・と言われましたけど。

確かにそれもありますよね。
ここに越してきた5年前よりも体は弱くなっている感じがします。
歳なのか疲労の蓄積なのかわかりませんが、もっと体を労らないと長持ちさせられないのでしょう。
まずは、「自分のペース」をちゃんと掴むこと、体の状態を把握することが、こういう暮らしでは欠かせないのだとあらためて感じています。
その上で、必要があればピンポイントで薬を飲むもよし、ハーブを活かすもよし、自己回復のみでやり過ごすもよし。そういうことですね。

「気合でなんとかなるはずだあ!!」はもうやめようっと。
posted by 野良人イトウ at 09:48| Comment(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月19日

ルーツ。

先日、実家に帰って漬物を仕込んできました。
この時期の恒例となりつつある、母とのニシン漬け。
数年前に母が「父さんと2人でそんなに食べるわけじゃないし大変だから、そろそろやめようかな」と言うのを聞いて、「それは何だかもったいない。やめるなんて言わずに手伝うから一緒にやろうよ!」を押しかけたのがきっかけです。

僕も子どもの頃から毎冬食べてきた「ウチのニシン漬け」は、父曰く「子どもの頃、冬のおかずの主役だった」とのこと。秋に大量に漬け込んだニシン漬けは、食料の少ない冬を乗り切る為に欠かせないものだったのですね(昔は、物置がニシン漬けの樽で埋め尽くされたようです)。
そんなニシン漬けは、お嫁に来た母に受け継がれました。
「おばあちゃんから教えてもらったのは最初の年だけ」らしいので、父が子どもの頃食べていたものとは若干違うかもしれませんが、ともかく今年も2斗樽に一つ、仕込むことが出来ました。

ここでざっくりとしたレシピを公開。
材料は、キャベツ大玉6個。ダイコン大2本。ニンジン大5本。身欠きにしん15尾。
それに、ニンニク、ショウガ、トウガラシ、麹、塩。
キャベツは切りながら詰めていくので、それ以外を刻んで準備が整ったら始めます。
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キャベツは大きめに切った塊のまま、ぎっちぎちに詰め込むのがポイント。

次はダイコン、ニンジンの層。
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麹、ニシン、ニンニク、ショウガ、トウガラシを散らすと、見た目もずいぶん鮮やかになります。
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ここで塩を振ったら、またキャベツを詰めて・・・
と、繰り返していきます。

だいたい3段も積めば、2斗樽がいっぱいになるので、最後にキャベツの外っ葉でフタをすれば出来上がり。
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空気を入れないようにビニルを閉じて、重石を乗せておきましょう。
1か月後から食べ始めなので、12月の半ばまでグッとこらえて待つのみです。



この歳になって、一緒にニシン漬けを仕込みながら聴く昔話(まあ、だいたいがお嫁に来たころの話かな)。悪くないものです。
以前は昔の話なんて全然聴きたいと思わなかったのに、不思議ですね。

1カ月前、親戚の葬儀に行ったときに叔父叔母から聴かせてもらった昔話もなかなかでした。
祖父母が全財産を売り払った金で南米に行こうとした90年くらい前のこと。
樺太で生まれた叔父さんのこと。樺太での暮らし。
失敗続きで借金を膨らませた養蜂の話・・・等々。


自分のルーツとか血縁なんて「どーでもいい」と思ってきたけれど、「昔話」として聴くにはなかなか面白いものだと感じました。
その頃のじいちゃんばあちゃんに会ってみたい気もします。

過去は過去だし自分は自分だけれど、彼らの喜怒哀楽や営みの続きに今の自分がいる・・・そんなことも少しは踏まえておこうか。
そんな気分のこの頃です。

あ、それと、ニシン漬けが出来上がる12月半ばにちょうど70を迎える母の「これからこんなことしてみたい」って夢を聞かせてもらうのも、悪くない時間でした。
負けられないな。


posted by 野良人イトウ at 20:23| Comment(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月17日

米と味噌。

先日ついに米がきれた。
昨年秋に収穫した米が、底をついたのである。

(ウチはそもそも米の消費量が割と少ないので)8カ月もの間、自給米を食べることができた。
有り難いことだったが、米がなくなるというのは・・・非常に心もとないものだ、と実感。
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ちなみに味噌(これは一昨年の暮れに仕込んだもの)も先月で無くなった。
味噌は体験塾の参加者の方々で大半を分けたので仕方がないのだけれど、やはりもうひと樽、自家用に仕込んでおくべきであった(今年からはそうするつもり)。

ただ、幸い?なことに、僕らは米や味噌が無くなろうと、さほど困らない。
自分でつくるよりもずっと手軽に楽に、しかも安く手に入れられる。
(自家製の米や味噌にかけた作業時間を時給換算すれば、馬鹿馬鹿しくなるだろう)


・・・でも、ねえ。
なんだか悔しいんだな。
そんなに強いこだわりってわけでもないけれど、ツマラナイ気がしちゃうんだな。

そのうち米味噌くらいは買わずに暮らせるようになりたいものだ(卵はすでに買わないからね)。
そのためには、もっと手間かけずにできるようにならなくては(いろいろと見極めが大事だ)。
あんまり時間かけずに苦労せずに作物を育てる・・・福岡さんだってそれを追及していた。
彼の目指した「自然農法」の利点は、何かと多忙な現代人にこそあるんだろうし。
肩ひじ張らずに米味噌くらいは自給しようぜ、ってことなんだろうし。
「理念」とかムツカシイこと口に出さずに、軽やかに、当たり前にできたらいいな。

・・・などと考えつつ、米を購入したのだった。
posted by 野良人イトウ at 22:59| Comment(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月09日

風に吹かれて。

先日、ガーデンの柵造りをしていたときのことです。
周りには散歩中のCoccoが2羽と猫1匹がウロウロ(ニンゲン2名)。彼ら、何故かいつも作業中の僕らのそばにいるのです。
杭を打ち込むために僕が乗っていた脚立の下は、こんな感じでした。
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2羽とも、体は小さめだけど元気で人懐こいCoccoさん。
ヒナの時には弱くて何度も死にかけた子たちです。
今はすっかり元気になって、毎日美味しいタマゴを産んでくれています。


その日はいつも以上に風が強く、脚立の上に立つとグラグラ揺れるほどでした。
ホコリっぽくて嫌だなあ、風が冷たいなあ、と思いながら脚立を降りて植木を掘りかえしている僕の後ろで、「ガチャン!!」大きな音がしました。と、同時に「ギャッ!」という声。
振り向くと、風の勢いで倒れた脚立の、一番上の足場の硬くて重たい部分に頭をはさまれた状態のCoccoさんが、バタバタしていたのです。

瞬間、とても嫌な予感がしました。
が、その後Coccoさんは自分で首を脚立から抜いて、思いの外元気にたったったと走り出しました。
「良かった。大丈夫だったんだ…」

ホッとした次の瞬間、彼女は泥酔しているようにフラフラしだし、そのままパタリと倒れたのです。
駆け寄ってみると、彼女は口から血を吐きながらすでに目を閉じていました。
体からは、みるみるうちに力が抜け、筋肉が弛緩していきます。
「死んでしまう…!」

もう助からないのだろう、と感じた僕は、刹那にいろいろな思いを巡らせました。
せめて食べてあげなきゃ、今すぐに首を落して血抜きをすれば美味しく食べられる、と考えました。
それは悲しく不愉快な考えではありましたが、この状況では一番まっとうな選択に思えました。

ところが、抱きかかえて玄関に向かう途中、お客さんが来ているのが目に入ってしまったのです。
やむを得ず、僕はまだ温かいその子をそっと草むらに置いて、お客さんの対応をしました。

数分後その子のもとに戻ると、案の定、彼女は完全に絶命していました。
体は小さいけれど、毎日元気に散歩をして美味しい卵を産んでくれる、とても人懐こくてかわいいCoccoさんでした。

まさか、こんな時に限って脚立が倒れるなんて。
倒れた脚立の下にCoccoさんの頭があるなんて。
あと10cmどちらかがずれていれば大丈夫だったろうに。
確率の低い不運が重なって起こってしまった出来事・・・。


重たい気分でCoccoを埋めながら、けれど僕は、こんなひどいことも考えていました。
「Coccoの死は悲しいけれど、これが(猫の)コーちゃんでなくて良かった…」



「すべからく命は平等だ」
「どんな命も重たい」
・・・それを否定はできません。けれど、主観的には命の重たさには明らかに違いがあります。

自分で育てたCoccoは殺せないけれど、余所の鶏は殺しやすい…それが本音です。
かわいかったCoccoの事故は、ニャンコがそうなるよりはマシだった、と感じるし、もっと赤裸々に言えば、どこかの会ったこともない人の事故死よりも、自分のCoccoの事故死はずっと悲しいのです。



「命の重たさ」を口にするのはカンタンなことです。
死にゆく生き物を見て「かわいそう」と感じるのも自然なことです。
でも、道徳の教科書を読んで先生の期待する答えを口にするのと同じくらい、現実感のないツルンとした無意味な言葉な気もします。

「どんな命も大切に」なんて、無理な話なんじゃないかな。
いや、そうしたいのは山々だけれど、僕らの感情は、いつしか命に軽重をつけています。
そんなにキレイではいられない。

逃れられない自己矛盾を思い出させてくれた出来事でした。
スッキリはしない、モヤモヤはずっと残ります。
でも、その割り切れなさがきっと大事なのだと思います。
自分が正義だったり善人であるかのような勘違いをしないように。
Coccoさんがまた一つ教えてくれました。

そして僕は、もう一つ・・・
「風の強い日には危険なものは横にして、すぐに片付けよう」と固く誓ったのでした。

本当にアブナイですからね。

posted by 野良人イトウ at 16:42| Comment(4) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月13日

お金をもらう。

ここ数日は整体の仕事に集中してました。
久しぶりに自分で企画し、新聞折り込みチラシも入れて、お隣の町の公民館で施術会。
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経費を差し引くと大した収入にはならなかったけれど、何とか赤字にもならずに済んで良かった良かった、って感じです。こういうのは営業の一環だから、まずは仕掛けて、続けていくことが大事ですね。

疲れたけれどそれなりに良い気分なのは、「施術したご本人から、自分の労働の対価として直接お金をいただく」という、ものすごーく単純でわかりやすい「経済」がそこにあったからかな。
しかも、「楽になったよ、ありがとう」という声までいただいて。

つくった「モノ」でも直接かかわる「時間」でもいいのだけれど、自分自身を提供してその相手から直接対価をいただき、収入を得る・・・そして、自分も「敬意を持てる誰か」の提供する時間やモノに対してお金を払う・・・そんな、当たり前で単純なお金とのつき合い方をしたかったのだ、とあらためて思い出すきっかけにもなりました。



自分が提供するコト、モノが人に喜んでいただけるよう、自分自身を磨かなくてはなー、と真摯な気持ちになっております。
たとえば今日、この後は学童保育の指導員をしてくるのだけれど、そういう「巡り巡っていただくサラリー」に対しても、同じような気持ちでいなればいけないですねえ。

「稼ぎ=収入を得る仕事」は、お金を介して社会とかかわるコミュニケーションの場、なのですね。
(もうちょっと稼げるようにならんとなあ…)
posted by 野良人イトウ at 09:47| Comment(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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