2017年06月19日

「働く」をシェアする。

今日はワークシェアDAY。
今年は週一の持ち回りでワークシェアをしているのです。
メンバーは、ぽへぽへ農園のいもやこうの氏とSloth+農園のひろお氏、僕(時々ゲストあり)。
3人で3か所をまわって、一人じゃ大変な作業や人手がたくさん欲しい作業を互いに手伝いあっています。
そう。「結」のような共同作業チームなのです。

3か所を順にまわるので、だいたい月1回のペースで自分のところに来てもらえます。
今日はうちに来てくれて、超★ハードな作業を手伝ってくれました。

朝イチで、台車に束石や砂利を積んで山の現場へ…。
(900の束石、重たい〜…)
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ちなみに前回はこの場所の掘削や整地を手伝ってもらいました。
(いつもハードワークさせてゴメン!)

「一人じゃなかなかできないこと」、「たくさん手があるとはかどること」を手伝いあう「手間返し」のシェアワークシステム、僕らのような暮らし方の人間にはすごくありがたいことです。
「仕事を手伝ってもらえて助かる」というのももちろん大きいけれど、一緒に作業することの面白さや楽しさも魅力の一つ。もちろん信頼関係があってこそですけどね。

アルバイトと違って、1日労働してもお金は1円たりとも発生しないし貨幣経済はちっとも動かない(つまりGDPには無関係!)けれども、「働き方」の一つとしてなかなか価値があるんじゃないかなあ、と実感しています。
(逆に、お金で雇われているよりも「頑張らなきゃ」って思うかも…)

ちなみに先週は、ぽへぽへ農園にて丸1日「芋の畝たて」を手伝いました。
(これもなかなかにキツかった(笑))
いい芋が育ってくれたら、と願っています。
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来週はひろお氏のSloth+農園に行きます。
今日やってもらった分以上に役に立ちたいなー。

そんな感じの「ワークシェアDAY」。
ちょっとずつルール?(って程でもないけど)も整理しつつ、いい感じでやっています。
暮らしに欠かせない「生業」の一つになりそうです。



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★暮らしを学ぶ・暮らしで遊ぶエコビレッジライフ体験塾では、各種講座・イベント行っています。
自主企画の講座の他、随時出前講座も承っています。


『小さなマイハウスをつくろう〜小屋づくり基本講座』strong>
毎年、参加者の皆さんと一緒に、ミニマムな暮らしをイメージしながら「住まえる小屋」を建てている小屋づくり講座。今年の舞台は、千歳市にある「リサイクルファクトリー」さんの敷地内です。
「日曜大工の技を身につけたい、上達したい」という方から「物置小屋くらいは自分で建てたい」「いつかはセルフビルドを…」という方まで、「つくる」ことの好きな方ならどなたでも歓迎いたします。
〇日時 7月8日(土)9日(日)22日(土)23日(日)9:30〜18:00
〇場所 リサイクルファクトリー(千歳市中央690‐1)
〇参加費 7000円/1日、13000円/2日間、
     17000円/3日間、20000円/4日間
       *昼食、午後の軽食付き
〇定員 15名
〇講師 千葉英希さん(建築工房らくだ)


『ウンコは地球の宝物〜糞土師の糞土教室2017』
糞土師・伊沢正名さんを講師に招き、「本物のエコロジーとはどういうことなのか」、また「生き物として人の生活はどうあるべきか」などについて、大いに語っていただきます。
伊沢さんの言葉を借りるなら、「ウンコは良識の踏み絵」。
地球上でウンコがいかなる「役割」を果たしてるのか知り、向き合うことは、持続可能な社会を模索する上で欠かせない感性かもしれません。

〇日時 7月16日(日)@10:00〜12:00  A13:00〜14:30
〇内容 @ウンコを中心とした循環、糞土的思考を学ぶ座学
     A裏山を探索しながらのフィールドワーク(葉っぱや糞土、分解の様子の観察、野糞演習)
〇場所 エコビレッジライフ体験塾(当別町金沢147−1)
〇参加費 @のみ:2000円(おやつ付き)
     @A通し:3000円(自家製味噌汁付き)
〇定員 15名

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2017年02月24日

ことばのことA

「世に棲む、生きとし生けるものすべてが、自由に、平和に平等に、美しく明るく楽しく暮らせる、幸福と善意と優しさと愛に満ちた・・・世界を・・・要求する‼」

・・・この言葉から、どんなことを考えるだろう?

これは、僕の好きなある漫画の中のセリフ。
主人公?である殺人犯が、立てこもりの最中、人質解放の交換条件として出した要求のうちの一つだ。
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お話の中の最初の方のシーンなんだけれど、僕はこの場面が一番心に残っている。
そして、「言葉なんて所詮、その程度のものだよな」と思う。

中身があろうとなかろうと、「よさげ」で「美しそう」で「正しそう」で「もっともらしく」て「耳障りの良い」・・・そんな言葉を放つことは、案外造作もないこと。

いや、本当は違う!とも思っている。
本来、言葉は重たい。言霊という表現が示すように。
僕らは日常、ほぼすべてを言語による表現で相手に伝達しなきゃならないし、相手の言葉によって常に自分の感情、自分自身が変化していく。
「言葉」は本当は軽いものではないし、良くも悪くも「力」を持つ。

だけれど・・・
人間が言葉を操るようになり、文字を使うようになり、記録媒体が増え、伝わり方がどんどん間接的になっていくうちに、言葉そのものが随分空疎になってしまった。
重力や体温を失ってしまった・・・ような気がする。



この時期、「あさま山荘事件」が気になる。
このブログでも何度か書いたけれど、ちょうど僕が生まれた1972年の2月の出来事だから、興味を持った。
だけどそれだけじゃなくて、この事件には人間の陥りやすい闇を解きほぐす手がかりがあると思っている。

山岳ベースで「粛清」「総括」と言いながら同士を殺していった連合赤軍の「闇」の一つは、言葉の軽さに因すると僕は思う。
彼らは最初から残虐だったわけではない。そこに集った若者たちは、学歴もあり真面目で正義感の強い人たちだった。
ただ・・・残念なことに、若く人生経験も少なく、聞きかじりの書物や文書をつなぎ合わせたような「言葉遊びのような言葉」しか、彼らは持たなかった。いや、もっと肉体的な言葉もきっとあったのだろうけど、それを捨て、カッコよさげな言葉遊びに興じてしまった。
彼らが交わした(であろう)、重力も体温もない、空っぽの言葉。
「エライヒト」が語った、正しそうで立派そうで勇ましそうな言葉・・・の切り貼り。
それが閉鎖空間で狂気に変わっていった。

でも・・・いつだって、人は、そういうものに弱いんだよね。
聴いてうっとり。
話してうっとり。
(ほら、アチコチにいませんか?)

先述した漫画の主人公が叫んだ要求は、実は時間稼ぎのために(相手を困らせるためのみに)思いつきで吐き出した言葉だ。
でも、言いながら、ノってきた彼は、理想を叫ぶ自分に・・・うっとりしていた。

言葉なんてそんなもの…でもあるんだろうと思う。
(あんな場面をぶつけてくる新井英樹はやっぱり挑発的でえげつないなあ)
言葉の限界、言葉の不完全さ。それを心していたい。


同じ漫画でも、対極に近いのが、五十嵐大輔の『魔女』かもしれない。
これについても以前書いたけれど、この漫画の登場人物のセリフには重力、体温がある。
それは、彼の数年間の限界集落暮らしの経験が大きいのだろう。
生きている感じがする。
村の老女がジャガイモの選別をしながら、薪割りをする少女に語る「自分の“楽”は必ず誰かが肩代わりしているの。大きな技術に関わっている人たちがその事を忘れてしまうのは、本当に恐ろしいことよ」なんて言葉など。


たとえば、ガンジーさんの言葉が持つ重力も、彼の言葉が肉体と連動したものだからなのだと思う。
塩の行進を続け、チャルカを廻し続けた彼だからこその言葉。

でも、それだって、鵜呑みにしてはならないだろう。
「いい言葉だな」と感じたとしても、まずは忘れたい。
自分の体験を経て、自分の肉体を経て、再度自分の言葉として浮かび上がってきたとしたら、心にとどめよう。



言葉は「伝達の道具」。
だけど、どこまでいっても言葉の中心にある本質は、その人だけのものなのだと思う。
僕にも自分が経験し、感じて、反芻し、整理したことを人に伝える場面がしばしばあって、その手段はやはり言葉なのだけれど、どんなに頑張っても、僕が見たもの、感じたことを相手に伝えきることはできない、と思っている。
「体験」をありのまま感じてもらうことなんてできない。
時間と肉体をコピーすることは不可能。
当たり前のことなのだけれど。

「芽が出た時の喜びは、タネをまいて世話をした人間だけのもの」だ。
「畑で時折得る大地とつながってる感覚、暮らしの中で得る宇宙の中の一部と感じる感覚、それは、僕だけのもの」だ。
どんなに言葉を費やしたところで、わかってもらうことなんて、ありえない。

それを肝に銘じている必要がある。
逆もまた然り。

誰かの言葉を、簡単に「わかったつもり」になってはいけない。
自分の言葉で、誰かを「わからせられる」なんて考えてはいけない。
(『魔女』の中で少女が叫んだ言葉。「いちども空を見たことがない人が“晴れた空は青い”と言ったら、言葉は間違ってなくてもそれはウソなんだわ」は核心をついていると思う。)

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だけど・・・

(幸か不幸か)それでも、伝えたいことや知って欲しいことや共有したい思いがある。
だからこそ、「言葉の限界」を理解したうえで、精一杯「自分の言葉」に向き合いたいと思う。
少しでも重力や体温を伴う言葉を相手に届ける努力をしなければ、と思う。

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★暮らしを学ぶ・暮らしで遊ぶエコビレッジライフ体験塾では、各種講座・イベント行っています。
自主企画の講座の他、随時出前講座も承っています。



『ひとつぶのタネの力〜タネ交換会と学習会』

自家採種したタネを持ち寄り、交換しながら交流する会です。(タネ友希望の方も、参加可能です)
〇日時 2月25日(土)18:45〜21:00
〇場所 札幌エルプラザ(札幌市北区北8条西3丁目28)
〇参加費 800円
*定員に達しました。ありがとうございます!

『MY醤油講座を仕込もう』
〇日時 3月18日(土)13:30〜16:00
〇場所 当別町金沢147−1
〇参加費 2500円
*現在、参加者募集中です。

『とことん生乳〜ナチュラルチーズを楽しもう』
〇日時 3月25日(土)10:00〜15:00
〇場所 ハイジ牧場(長沼町東9線南2番)
〇参加費 3500円
*現在、参加者募集中です。

★お問い合わせ・お申し込み
       エコビレッジライフ体験塾 伊藤伸二まで
       itogakiretatakoAyahoo.co.jp
          (*Aを@に変えてください)
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2016年12月10日

綯う季節。

12月になると、縄を綯いたくなります。
「しめ縄づくり」をする機会(講座や自分の家に飾るもの制作など)が増えるというのもあるけれど、単に「綯いたい」という気分にもなります。

「縄を綯う」というのはなかなか面白い遊びです。



これは、うちに飾るためのしめ縄(まだ途中)。
せっかくなので今年は少し凝ったものにしてみようかと思っています。
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ちなみに使っているワラは、ハッピーヒル。
福岡正信自然農園コミュニティの方からいただいたもので、今年バケツ田んぼにしてみたのですが、やはり北海道では難しく・・・穂が十分実りませんでした。
それでもなかなか立派なワラだったので、縄にしてみたのです。


こちらは普段使い用のいわゆる「縄」。
続けて長ーく綯っていって、この後のわら細工でも使おうと思っています。
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こちらのワラは、自分の田んぼのもの。
僕のやっている田んぼは稲の茎が短いので、継ぎが結構大変です。
「お米がもっと採れたらいいのに!」と思うのと同じくらい、「もう少しいいワラが出来たらいいなあ!」と思いながら、田んぼを続けています。

そうそう。
田んぼで稲架がけして天日干しした稲はその場で脱穀するのですが、ワラの半分は田んぼに戻し、もう半分を持ち帰ってきて保管してするようにしています。
持ち帰るのはもちろん、ワラ細工のためです。

ところが、今年は、持ち帰ったワラをシートにくるんだまましばらく放置してしまったため・・・
やられてしまいました・・・!!
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犯人は、ネズミです。
ネコのコーネリアさんがパトロールしてくれるのですが、ワラをくるんだシートは完全にネズミの安全地帯になっていたのですねー。
おかげで、大事な大事な「材料」が7割くらいダメになってしまいました。
もっと早くに整理しておけばよかった・・・と後悔。


たとえば何か「モノヅクリ」をしようと思った時、以前(10数年前、勤めていたころ)は、東急ハンズなどで購入するのが当たり前でした。
まあ、それはそれで面白いのですが、材料を集めたり、育てたりするところから行うようになると、「つくる」という作業は本当に末端の、晴れ舞台みたいなものなのだなあ、と感じます。
その素材の準備や保管を自分でするとなると、これがなかなか大変なことばかりなのですね。


ほうき用のほうきキビも、栽培して収穫した後、「つくり始められる状態」にするまでの段取りにエライ時間と手間がかかりました。
脱穀し・・・
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はかまを取り・・・
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丈や太さをそろえ・・・
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と、この状態に整えるのに数日。

ここまで来たら、「あとは編むだけ」です。
そう、編むだけ。
「編む」という作業が、ここまで頑張ってきた自分へのご褒美みたいな気分になります。



何でも、出来た製品を買ってくるのが楽で安いし(いや「本物」は高いですけど)、自分でつくるにしても素材は買った方が安上がりです(その分賃労働すればね…)。
そういう時代にあえて「0からつくる」というのは、あまり賢いやり方じゃないのだろうけれど、「そうしなきゃ見えてこないもの」「感じられないこと」が実はとても多いのですよね。
時間と手間をかけることで得られる経験と智。

それを大切にしたいし、それをさせてもらえることをとてもありがたく感じます。

・・・などと考えながら、今年も「綯う季節」が始まりました。

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★暮らしを学ぶ・暮らしで遊ぶエコビレッジライフ体験塾では、各種講座・イベント行っています。
現在予定している講座はありませんが、出前講座を随時承っています


<予定している出前講座>
1月22日(日) 『発酵講座』(札幌市篠路)

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2016年10月21日

ことばのこと。@

僕はあまり言葉を信用しません。
というか、言葉自体は、都合よくどーにでも扱えるものだと思っています。

指先でちょいちょいと得た「情報」を真実かのように人に伝える人。
「人が汗をかいてやったこと」を、さも自分の体験のようにとうとうと話す人。
言うことはすんごく立派だけれど、行動は「?」と思ってしまう人。

そして、そんな言葉でも、「なんてスバラシイ!」とありがたがってしまう人・・・。

一方で、言葉少なに自分が「大切だ」と思うことを淡々と実践する人がいます。
高いところから演説するよりも「汗をかくこと」を優先する人がいます。

やっぱり僕は、後者の人達のようでありたいし、そういう人たちと行動していきたいです。
どんなに「立派そう」でも、「スバラシそうなこと言って」いても、日々の行動が伴わない人は信用できないし、口ばっかエラそーな人には近づきたくないです・・・。



先日お会いしたカタヤマさん。
お邪魔したら、日々を丁寧に営んでいらっしゃるのが伝わってきました。

いただいたハーブと瓶詰め。
「そのひと」が伝わってくる品でした。
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葛の採取から紡ぎ、織りまで一人でやっている渡邉さん。
彼女が遊びに来てくれた時に、「すごいですね」「好きなんですねー」という感想に対しての返答に、僕はグッときました。

「やりたくてやってるというより、葛に使われている感覚なので…」という言葉。

「あ、わかる!」と思いました。
単純に「それが好き」とか「やりたい」というよりも、「そうせざるを得なくてやってる…」という感覚。
(だって彼らは待ってくれないから)
一つひとつの行為で言えばメンドクサイしたいしてやりたいことではないのに総合的に出来上がるものを考えたら「やらなきゃ!」と感じる感覚。
・・・僕にもあります。
(渡邉さんが同じ意味合いで言ったのかわかりませんが…)

少なくても、「どっかで誰かが言ってた」言葉じゃなく、自分の内から出てきた言葉、そう感じました。
そんな言葉を信じていきたいと思います。
そんな言葉であれば、共にありたいと思います。

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11月に札幌で渡邉さんの作品展があります。
素敵な作品に会いに行きたいと思います。


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★暮らしを学ぶ・暮らしで遊ぶエコビレッジライフ体験塾では、各種講座・イベントを予定しています。

『漬物日和。〜たくあんとニシン漬け』
〇日時 11月13日(日) 13:00〜16:30
〇場所 エコビレッジライフ体験塾(当別町金沢147−1)
〇参加費 2000〜3500円
〇定員 10名

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2016年09月28日

美しき世界。

イキモノは基本的に、成熟すれば自分で喰うものを得る。
喰い(吸収し)、呼吸し、排泄し、やがて死ぬ。
そして、ある個体の生命活動の行く末(排出したもの、遺体や死物)は、すべて別な種、別な個体の生存を支える物質となる。

生命活動(呼吸や排泄)自体もそうであるし、死体も100%、次のイキモノの糧。
自然界での「イキモノのつながり」、「共生」の主軸となる関係性は、つまるところ「喰う・喰われる」なのだ。
すべてのイキモノは、存在するだけで(そして死ぬことによって)他の生命を支え、生態系を支え、この地球上で物質とエネルギーを循環させる動力となっている。
この世界において、欠くことなく役割を担っている。

・・・人間(と人間に付属しているイキモノ)だけが、例外だ。



人間は、多くの個体がとても間接的な方法で喰うものを得る。
多くの個体を養う糧は、それまでの生態系を大きく破壊した上で(農という技術によって)生み出される。
生態系において本来不可能な程の、異常な個体数が生存し続け(さらに増加しようとし)ている原因は、「農という(暴力的な)技術」と「化石燃料という貯蓄の切り崩し」による。


さらに、他のイキモノの糧にならないような物質を大量に使い、、ゴミと呼ばれる物質を排出する。
自分の生きている間には分解しきれないような毒やゴミを生み出し続けながら生きている。

自然界には「ゴミ」というものは、存在しない。
すべてが「他の生命の糧」だ。
人間だけが、ゴミを生み出し、撒き散らす。

一方で、他のイキモノにとっては大前提である「排泄物や遺体を次のイキモノに提供すること」すらしない。



世界で一番・・・
というか、唯一無二の、歪なイキモノ。
唯一無二の、役立たずなイキモノ。
それが人間。



どんな異形な容姿をしたイキモノ、特異な生態を持つイキモノよりも、人間は「歪なイキモノ」じゃないだろうか。
人間に生をコントロールされている栽培作物や家畜、ペットもすでに相当に歪なイキモノに見えてくる(人間も家畜の一種と言えるかもしれない…)。



「持続可能な・・・」とか、
「自然と共生・・・」とか、
「地球にやさしい・・・」とか。
「循環が大切・・・」とか、
「エコエコ・・・」とか、耳障りの良い言葉が流行りのように飛び交うけれど、まあ、そこで行われるほとんどは、金のメッキを塗る程度のこと、もしくは己の罪悪感をもみ消す程度のことじゃないだろうか。

と、(本心を明かすなら)僕は思っている(自戒の意も込めて)。



だから、糞土師・伊沢さんが野糞から発する「糞土思想」も、それで「人間の歪さ」を覆すような大きな変化をもたらすとは思っていない。
僕らが時々野糞をする程度のことで、社会が大きく変わっていくわけじゃない、と思う(そりゃそうだ)。

だけど・・・
それでも僕は、糞土思想は素晴らしいし、「人間が野糞をすること」はとても重大な価値を持っている、と考えている。


何故なら、僕ら人間が真に生態系に寄り添うことができる行為は、すでに野糞くらいしかないからだ(土葬や鳥葬が許される国に行けば別だけれど)。
そして、「人間もまた一つのイキモノに過ぎない」という、大事な事実を感覚的に伝えてくれるからだ。


たとえば僕は、できるだけ自給的な暮らしを模索している。
理由はたくさんあって、「22世紀まで続けていけるような人間の在り方を見つけたい」と思うのもその一つだ。
自分でタネを採り、育てることも、鶏を飼うこともそう。
自分の暮らしをできるだけ小さい循環に委ね、生態系の姿を意識しながら暮らしをつくりたいと思っている。
それが、僕が考える「持続可能な人間の暮らし」だ。

そしてその技術のほとんどに、微生物の力を借りている。
微生物が物質のカタチを変える力、分解する力、他の生き物を生かす力は僕の暮らしに欠かせない(だから僕は、微生物って神に一番近い存在だと思っている)。

糞尿についても、(今は休止中だけど)コンポストトイレで処理していた。
水洗トイレは、まさに「臭いものに蓋をしちゃえばいい」「後はオラ知らねえ」という無知蒙昧、無責任極まりない発想の源泉だと感じるから、それよりは遥かにマシな処理法だと思う。

だけど、僕がやってることは、結局は「生態系を利用」しているだけなんだ。
自然の生態系を真似、微生物の力を借りながら暮らしを廻していく。
あくまで自分の暮らしを中心におくという発想。

それに対し、野糞は、ダイレクトに生態系に入り込む方法だ。
生態系を「利用」するのでなく、自分を生態系に寄せていく謙虚さがある感じがする。
実際に自分で野糞をしていてもそう感じる。

僕は野生動物のようには生きられないから、農の技術を使い、生態系のシステムを「利用」する。
それ自体は良いも悪いもない。ボチボチ生きさせてもらってます、としか言えない。
ウンコもオシッコももったいないから、栽培に使いたいと思う。

でも・・・
やっぱり半分くらいは「野」でしたい。
そうすることで、得られる感覚を大事にしたい。
生態系の「本当の姿」を体に覚えさせておくために、野糞という行為を大切にしたい。



9月17日の伊沢さんの講座で、3週間前に埋めた僕の野糞跡を掘り返す実習をした。
自分の排泄物が微生物によって土に同化していく様子、植物がそれに根を伸ばして集まってくる様子を見て嬉しかった。
なんだかタイムカプセルを掘り出すような気分だった。
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その後、「もっと変化の様子を見たい」と思った僕は、糞土師流野糞法(伊沢さんは人間としてのマナーも重んじて埋めるようになった)ではなく、「放置」してみることにした。
誰も来ることのない自分の場所だからできる実験だ。

体外に放出された僕のウンコ。
野に放たれた20秒後の写真がこれだ。
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瞬間的に集まってきた蝿たち。
ああ…瞬く間に、分解は始まるのだ。
それは崇高な儀式のように僕には見えた。

彼らは、僕の排泄物を糧とし生きる。
蝿の排泄物はきっとまた何かの糧になり、やがてこの森の植物を育むだろう。

「僕は今、生態系の一部になった」
そう感じたのだった。


そして、様々なイキモノの糧となり、3日後には僕の排泄物は姿を消した。
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3日間の変化は、とてもドラマチックで、僕は見るたびに胸が熱くなった。



何一つ無駄になることなく、無数のイキモノがかかわり合いながら成り立っている世界。
すべてのイキモノが、存在しているだけで意味を持つ世界。
この世界はなんて美しいんだろう。
自分もできればこの世界の一員として、イキモノとして、まっとうでありたい。
そんなふうに思う。

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★暮らしを学ぶ・暮らしで遊ぶエコビレッジライフ体験塾では、各種講座・イベントを予定しています。

『今日とるタネが未来をつくる〜明日のためのタネ採り講座』
〇日時 10月9日(日) 10:00〜12:30
      *日時変更しました
〇場所 エコビレッジライフ体験塾(当別町金沢147−1)
〇参加費 1200円(ドリンク付き)
〇定員 10名

『ぐるりの豆部〜タネまきから始める味噌造り(第4回納豆仕込み)』
〇日時 10月9日(日) 13:30〜16:30
〇場所 エコビレッジライフ体験塾(当別町金沢147−1)
〇参加費 2000円(ドリンク付き)
〇定員 3名

★お問い合わせ・お申し込み
       エコビレッジライフ体験塾 伊藤伸二まで
       itogakiretatakoAyahoo.co.jp
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