2018年02月01日

僕らの存在をつくるもの。

「見る」こと、「聞く」こと。

僕等は通常、その2つの行為でほとんどの「情報」を得ます。
見聞きした情報を脳で整理し、言葉に置き換えて膨らませたり決断したりした後、自分の行動の指針にしていきます。

次々と入ってくる「目と耳からの情報」。
それによって僕らは、自己の存在を確認し、アイデンティティを維持している。
・・・そんなふうに僕は考えています。


映画を観てきました。
『もうろうをいきる』
視覚と聴覚、その両方を失った人たち(「もうろう」と呼ばれます)を紹介するドキュメンタリー映画です。
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まず、映画本編にも登場していた「もうろうの大学教授」福島智さんの詩の一部を記します。

    [指先の宇宙]

   ぼくが光と音を失ったとき、
   そこには言葉がなかった。
   そして世界がなかった。

   ぼくは闇と静寂の中でただ一人、
   言葉をなくして座っていた。



まさにそうなのだろうな、と僕にも想像できます。
目と耳からの情報を失うということは、「世界がなくなる」に近い状態になるのだろうと思うのです。
「世界がなくなる」は同時に、「自己を喪失する」にも近いような気すらします。
光と音から遮断された世界。
笑顔も、素晴らしい景色も、文字も絵もなく、音楽も笑い声も楽しい会話や議論もない世界。

そんな世界で生きる<もうろう>の人々の存在、在り方は、「(それでも)何故人は生きるのか」という大きな問いへの答えを示してくれるような気がするのでした。



「答え」の一つは、先ほどの福島さんの詩の続きにありました。

   ぼくの指にきみの指がふれたとき、
   そこに言葉が生まれた。

   言葉は光をはなちメロディを取り戻した。
   ぼくが指先を通してきみとコミュニケートするとき、
   そこに新たな宇宙が生まれ、
   ぼくは再び世界を発見した。



<もうろう>の人たちにも言葉はあります。
指先で会話する「触手話」という方法。
相手の指に触れ、その動きで情報や想いを伝え合うのです。
もちろん、指以外にも相手の体に触れ、ハグしたりすることでコミュニケーションをとることが出来ます。

相手の指に触れ、「かかわり」が生まれた時、福島さんは「再び世界を発見した」と言っています。
世界を取り戻したということは、きっと「自己を取り戻した」「自分の存在が再現した」ということです。

ここに、「人がなぜ生きるのか」の答えがあるように感じます。
「コミュニケーション」「誰か(何か)とのかかわり」によって、人は人として自己を認識するのでしょう。
逆に言えば、「自分だけ」では、決して人は自己を保てないのだと思います(その対象は人間に限らないとは思いますが)。


20歳頃(だったかな)、何かの本で「自己のアイデンティティは自分の内にあるのではなく、無数の他者の視線によって構成される」という言葉を目にしました(正確じゃないけどそんな感じ。誰の言葉だったかは忘れてます)。

でも実は、その当時の僕にはあまり響いてこず、「けっ、何言ってやがんだ。俺は俺だ。人の目なんか気にしないし、左右されない。人と自分を比べて生きるなんて御免だ。俺は俺として俺らしく生きてりゃいいだろう。それが俺のアイデンティティだ!」くらいに思っていたものです(恥ずかしいけど、若かったからね)。

でも、今ならすごくよくわかります。
そんなに鼻息荒くするほど、「自分」なんて大した存在じゃないですし。

どんなに頑張ったって、自分一人では存在し得ないということを僕は「農ある暮らし」の中で実感してきたように思います。
それは衣食住を自分で生み出せるかどうか、というような話ではなく、日々食べているモノがすべてイキモノであり、「食べる」ということ自体が濃密なコミュニケーションなのだということ、そして僕の身体に住む無数のイキモノがいなければ僕自身では消化することもできない、ということ。
気づかないうちに、多くのイキモノに守られながら、そして彼らに何かを提供しながら「僕ら」は生きています。

生態系の中で「個」は常に無数のかかわりによって存在しているのだという、当たり前のことを僕は暮らしの中で少しずつ実感し、「誰しも自分のみでは生きられないのだ」という現実が僕の自我を随分落ち着かせてくれたのでした。


さらに、勤め人をしていた時にかかわっていたハンディキャップを持った子どもたち、旅の途中で出会った人々、体験塾を通してつながるようになった仲間たち等々、とのかかわりによって今の自分が出来ていったのだとも実感します。
良いことばかりじゃなく、嫌なこと、不快なかかわりも含めて、それら全部が、日々自分を再構築してくれているのだと思う時、「我」というものは、他者とのかかわりによってしか成立しないのだとつくづく感じるのでした。


人間は「必要に応じて関係性(コミュニケーション)を持つ」のじゃなく、「コミュニケーションを取ることで人間であり続ける」のかもしれません。
実は、それは生態系の中のイキモノたちと同じです。
生きるということは、多様なコミュニケーションを持つこととほぼ同義。
生態系の環をつくり上げるために個が存在しているとも言えます。

かかわりあい、何らかの手段で意志や想いを伝え合う(もしくは食べたり食べられたり…)。
見えずとも自分とかかわりあう存在を感じる。

コミュニケーションによって僕らの存在は具現化し、他者に伝わった「何か」がまた別な何かにつながっていく。
連綿と続く「つながり」「コミュニケーション」。

きっと、それがこの世界の有り様です。

・・・なんてことを、映画を見た後、味噌を仕込んだりしながら僕は考えていたのでした。
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(味噌樽の中の「彼ら」との関係性も、僕をカタチづくる大事な要素です)


最後に、福島さんの詩の続きを。

   コミュニケーションはぼくの命。
   ぼくの命はいつも言葉とともにある。
   指先の宇宙で紡ぎ出された言葉とともに。




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★暮らしを学ぶ・暮らしで遊ぶエコビレッジライフ体験塾では、各種講座・イベント行っています。
3月までは随時、味噌や醤油仕込み、ひょうたんランプ制作などの出前講座も承っています。

★イベント情報

『冬山散歩〜春を探して』
  〇日時 2018年2月3日(土)8:45〜15:00
  〇場所 当別町金沢147−1
  〇内容 ・裏山での冬芽の観察
      ・中小屋温泉までのスノーハイク(札沼線にて帰還)
  〇参加費 1500円
  〇定員 10名程度

『ひとつぶのタネのチカラ〜タネの交換会と学習会』
  〇日時 2018年2月18日(日)9:45〜11:45
  〇場所 札幌エルプラザ 環境研修室1,2
  〇内容 ・『OPEN SESAME〜The Story Of Seeds』ミニ上映会
      ・自家採種したタネ交換会
  〇参加費 800円
  〇定員 30名

*お問い合わせ、お申込みは、HPのお問い合わせページにて承っています。
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2018年01月13日

僕の「講座」のつくり方。

この時期は、エコビレッジライフ体験塾の講座も少しペースを落として、新年度の準備をしています。
体験塾は一応僕の「本業」。
仕事としてやっている以上、目的の一つは「現金収入を得るため」なのだけれど、もちろんそれだけのためにやっているのではありません。

だから、常に「自分がやっている意味は何だろう?」「このやり方でいいのかな?」と自問自答ながらです。
最近はアチコチで様々な講座やワークショップがあるけれど、「何故、<自分が>それをやるのだろう?」とあらためて考えたりもします。

しばしば僕が自分で(自分の暮らしのために)やっていることを「それもワークショップにしたら?」「講座にして(教えて)ほしい」というお声をいただきます。
でも、何でもかんでもそんな風に講座化してしまうのは、僕は違うと考えています。
一応、僕なりに講座化する「基準」や「段取り」があるのです。

新年が始まったし、自分がこの塾を運営するにあたって(というか講座を企画するにあたって)のコダワリを少し整理してみようと思います。



毎回必ず考え込んでしまうのは、以下の3点です。
・自分に伝える側としての資格(知識・技術・経験)があるか
・企画に(参加費を受け取る)講座としての価値があるか
・受け取る報酬が価値に見合ったものであるか


僕が企画する講座には、自らが講師として立つものと、長けた方に講師をお願いするものがあります。
自分で行うものは、当然自分が時間をかけて学び経験してきた分野です。

それは「栽培関係」や「食品加工系」「生態系にかんすること」が主ですが、例えば『醤油造り』などは、自分で仕込み始めて4〜5年経験してから講座として企画しました。
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ただ、当時は、4〜5年の経験など取るに足らないという気持ちもあり、「自分がお金をいただいて講座を開いて良いのだろうか?」と迷いながらの「醤油講座」でした。
それでも行ったのは、その頃は他に醤油について学ぶ機会がほとんどなかった(最近は札幌でも時々あるようですね)のと、情報がほとんどない中で試行錯誤や失敗を繰り返してきた経験を伝えなくてはもったいない、と思ったからです(最初は友人を集めて遊びでやりました)。
MY醤油仕込みを始めて現在は7〜8年。
まだまだ経験は不十分だと感じていますが、日々学び続けているので、毎年少しずつ内容の濃いものに出来ている自負はありますし、自分ならではの「視点」で伝えているつもりですので、今後も続けていきたいと思っています。
(今年も3月後半に「醤油講座」行う予定です!)


『豆腐造り』は、教員をしていた時からやっていましたし、お豆腐屋さんにも学びながら幾度となく自分では作ってきたので、経験はそれなりに長くあります。
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が、実は未だに「豆腐造り講座」として講座を提供してはいません(依頼を受けて行うことはありますし、昨年度から「豆部」の中の一枠としては行っています)。
豆腐造りは技術性の高いものです。
自分としては、「もっと技術を高めないとダメだよな」と感じるので、豆腐造り単体で講座を企画することはまだしていません。
だから、今年も「豆部」の連続講座の一つで体験していただくくらいがちょうど良いと考えています。
(それでも、講座として楽しんでいただく段取りは整ってきたと思います)


『味噌』や『醤油』をやっているので、「『みりんづくり』もやって欲しい」と言われることがあります。
でも、僕は「みりん」はあまり気が乗りません。
みりんも数年前からつくっていますが、作業は実に単純なので参加費をいただいて教える程ではありませんし、みりんが出来あがる過程は味噌・醤油と違ってドラマ性に欠けます。
麹の話をメインにするなら可能ですが、「自家製みりんをつくりたい」だけなら、「レシピ探してつくってごらん」という気がします。
「味噌だって簡単!」ではありますが、味噌にかんしては「経験者にも面白いと思ってもらえるような講座が可能」と思うので、講座化させていただいています(それでも味噌単発じゃ物足りないので、『タネまきから始める味噌造り』という連続講座で企画しています)。
取り組む内容が「講座にして面白いかどうか」も僕にとっては重要な観点です。


『ひょうたんランプ制作』を講座にしているのは、ひょうたんの栽培や事前の加工が結構大変なのでそれを僕が担いつつ、だけどとっても楽しいランプ制作は体験して欲しい!と思うからです。
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もう少し言えば、当初は、ひょうたんでランプシェードを制作して販売すること考えていました。
でも、そうすると僕の作品としての制作費用をいただかなきゃならないので、どうしても1万円以上になってしまいます。
本来、何でも自分でつくるのが楽しいし、その楽しさを伝えるのが僕の活動なのだから、「自分でつくってもらう方がいいじゃん!」と思ったわけです。
それなら材料費込みで4〜5千円で提供することができます。
なので、「つくり方を教える」というより、「つくる場と素材を提供する」というのが、この企画の趣旨なのです。
(これは今年は、3月か4月に行う予定です!)


一方で、しばしば要望される『ほうき作り』をなかなか企画できないのは、やっぱり自分の技術が人を指導するほどに達していないと感じるからです。
自分でそれなりの数を作ってはいますが、「まだまだ未熟…」なので、講座を行わずにいます。
友人で僕よりもずっと上手な作り手がいるのも、理由の一つです。
その方には3年前に一度講師になっていただきました。
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本来はまたお願いしたいのですが、謙虚な方なのでなかなか実現していません。
その方を差し置いて自分が教えるなんて・・・という思いもあって、最近は企画していないのでした。
もう少し自分の腕が上がったら、自分でも「伝える側」として立ちたいと思っています。


この、「僕より長けた方がいるならその方にお願いするべき」という発想も、僕にとっては重要な観点です。
今年で7年目になる『小屋づくり講座』は建築工房らくだの千葉さんに講師をお願いしていますが、これは当然、千葉さんあっての講座です。
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毎回一緒に講座をやってきていますから、講座の中で千葉さんが話すことや伝えることは、概ね僕も蓄えています。
自分でもそれなりにつくるようになりましたし、一緒に作業しながら経験の浅い方に教えることはできるかと思います。
でも、「教える」って、そんな甘いものじゃない!とも思うのです。

千葉さんが講座の中で「10のこと」を教えるとして、でもその背景には100も1000もの経験や知識があります。
その裏付けがあっての「講座で伝える10」なのです。
だから、自分で講師を務める場合はいつも、「講座で話すことの10倍のネタ」を持つようにしています(なのでつい話し過ぎて時間を越えてしまうのでした…それは反省)。

同じように『チーズ講座』『羊毛講座』なども、自分では積極的には行いません。
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それなりに経験しているので、そこそこつくれるようにはなっていますが、ハイジ牧場の金澤さんの豊富な知識・経験に裏付けされたお話には到底かないませんから、当然講師をお願いしています。


『織り』『染め』といったジャンルは、僕も10年くらい前から多少遊びとしてやっています。
相方のM氏は、僕以上に経験や知識があります。
なので「講座として企画してもいいかな?」と思うこともありますが、やっぱり「まだです!」という結論に達します。
まだ、というか、知人でプロもしくはプロ並みにやっている方がたくさんいるので、一般公募する企画とするなら、僕等じゃなくそういう方々にお願いするのが相応しいだろう、と思うのです。
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友人との遊びや「おまかせプログラムの1コマ」として体験してもらうことはやっています。

もちろん講師を依頼すればそれなりの謝礼をお支払いするし、参加費もあまり高くしたくないので、企画側にはそれ程収入にはなりません。
自分で講師をする方が収入になるのは確かです。
でも、質の高い講座にしたいと考えるなら、より相応しい方にお願いするべきだと思っています。

けれど、そういう場合であっても「企画し、参加者を集めるだけが役割」とは思っていません。
講師でなくとも、僕は「案内役」「企画の責任者」です。
講座で行う内容を熟知し、できるなら講師と近いくらいの情報を持っていたいと考えています。
それによって、講座がより深まるような投げかけも可能になります。
講師の方の話を「翻訳」することもできます。
「<講師の方の経験や知識>を<教育プログラム>に変換する」のが、僕の役割・仕事だと考えています。
講師の方の話が通じにくいことがあるとしたら、それは僕の責任なのです。



・・・というようなことを考えながら、僕なりに質の高い講座を企画できるよう努力しているつもりです。

蛇足かもしれませんが、最近しばしば巷で見受けられる「講座(ワークショップ)という名で、参加者の労働力をあてにしている(利用する)」やり方は絶対良くない、と思っています。
ただ「一緒に体験しませんか?」なら良いのですが、講座として参加費をもらうなら、せめてそれに見合う準備(教材化)をコチラが出来なきゃダメだと思っています。
教材化するのは結構大変なことなので、「そのくらいなら講座にはしない」ことが僕もよくあります。

参加費をもらうかどうか?
もらうならいくらなのか?


という点は常にとても迷うところでですが、基準を挙げるなら、講座として明確に「プログラム化が出来る」ものなら有料、ただ一緒に作業するなら無料です。
有料の「講座」にするなら、自分も含め講師料がどの程度必要か(本業かセミプロか、副業か、どのくらいの事前準備があるか)や材料費を考慮し、内容・情報量に見合った金額を決めます。
自分の収入は大事ですが、参加する側として「参加費分以上の価値がある!」と感じてもらえる設定にしたいと思っています。



・・・などなど、こだわっていけば、時間ばかり要して「かけた時間に見合う収入にならない…」のが実情ではあります。
本当はもう少し各種助成金や補助金を受けたらいいのかもしれませんが、安易に外部資金を受けることに抵抗があって(ズブズブな例を知っているだけに…)、今のところは参加費収入だけでやっています。

だけれど、「暮らし方や世界観が変わっていけば、少しずつ社会や未来はマシになるだろう!」「ニンゲンだってその方がシアワセになるだろう!」と僕は信じているので、得ているものはお金という数値だけではないのです。
そのあたり、今後も迷うとは思いますが、ブレないように、できるだけ誠実に活動を続けていきたいと思っています。

「明日、死ぬと思って生きなさい。
永遠に生きると思って学びなさい。
幸福とは、あなたが考えることと、あなたが言うことと、あなたが行うことの調和がとれている状態である。」


・・・とガンジーさんも言っていますしね。

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随時、味噌や醤油仕込み、ひょうたんランプ制作などの出前講座も承っています。

『ひとつぶのタネのチカラ〜タネの交換会と学習会』
  〇日時 2018年2月18日(日)9:45〜11:45
  〇場所 札幌エルプラザ 環境研修室1,2
  〇参加費 800円程度(調整中)
   *タネ交換会の前に行う学習会の内容は調整中です

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2018年01月09日

好きなこと、嫌いなこと。

年末年始はやや穏やかでしたが、数日前からまたドン!と雪が降りまして・・・

玄関から出るのも大変。
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屋根と窓がつながっちゃいそう。
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家の中からは、こんな景色です。
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屋根の下はどうしても雪が溜まるので、すでに何度か排雪作業をしています。
年末にも一度しっかりやったはずなのですが、10日と経たないうちにまたこんな状態なのでした・・・。

仕方がないので、数時間かけて除雪&家周りの排雪作業。
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とりあえず今回は、こんな程度でいいことにしましょう。
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なんだかこの冬は(も?)雪の愚痴ばかり言ってる気がしますが、はっきり言って僕は、「除雪」という作業ほど気の乗らないシゴトはありません。
まあ片付いていくこと自体は嬉しいし、やり始めたらそれなりに面白みもあるのですが、どんなにキレイに仕上げても数日後、いやもしかしたら明日、サイアクの場合今日の夜にはまた元の木阿弥になっちゃうかもしれないことを思うと、どうにもムナシサが伴ってしまうのです。
毎回必死にマイナスを0に近づけるだけのシゴト・・・。
どんなにやっても成果の残らないシゴト・・・。
ああ、色即是空・・・(違うか)。

しかも、この冬のように週の半分近くを出稼ぎに行ってると、家にいる日の作業時間は実に貴重です。
アレもやりたい、コレも片づけてしまいたい・・・と考えているのに、半日が除雪で費やされるのは非常に残念無念なのでした。

ま、仕方のないことなんですけどね・・・。



そう・・・、仕方がないことなんです!!
愚痴は言いますが、でも、だからってやらないわけにはいかない。
ムナシクたって、ツマラナクたって、雪に埋もれていっては暮らせません。
諦めて、「エイヤッ!」とやる以外はないのですね。

そもそも、「暮らす」とか「生きる」って、そんなことばかりのような気がします。
食べ物をつくる(作物や家畜を育てる)ことは基本的に喜びの多いシゴトだけれど、本気でやればその大半はシンドイ作業です。
草取りも、日々のお世話も、モノによっては収穫も。
家畜を飼えば、喰う為には、情の移った相手を殺すという最も嫌な作業がありますし。



この頃、「好きなことだけやればいい」という旨の言葉をしばしば見かけます。
「嫌なことはやらなくていい」といういい方の場合もあります。

そういう言葉を聞くと、僕は「そうかなあ?」と思ってしまいます。
日々ストレスを抱えて思い悩んでいる人には光明をもたらす言葉かもしれないけれど、「本質的にそれは<ない>よなあ」と感じます。

だって、「好きなこと」は、それ「だけ」では存在し得ないから。



例えば僕を見て、「やりたいことをやってていいですね」と言ってくれる人がいます。
確かに僕は今、結構自由にやりたいことをやって生きています。

でも、「やりたいことだけ」で生きているわけではなく、実は、やっていることの大半は「やらずに済むならやりたくないこと」です。
シゴトや作業なんて、そんなものだと思います。

ヒョウタンでランプをつくるのは楽しいけれど、つくれる状態に準備していく作業は面倒でシンドイことばかり。
エコビレッジライフ体験塾でいろいろな方に喜んでもらうのは嬉しいし、講座の準備をするのは好きな時間だけれど、人に声をかけて募集したり営業したりするのは僕にとってストレスの大きい作業です。

でも・・・、やります。
やらなきゃ進めないから。
そこにちゃんと価値や意味があることを知っているから。
もちろん必要以上に我慢することはないけれど、「必要」があって「納得」できるなら、まあ多少のストレスや無理があったってやるわけです。

「好きなこと」と「嫌いなこと」は、いつだって混在してると思います。
上記の表現に対して「違うんじゃない?」と感じるのは、たぶん「モノゴトをその2つの感情によって振り分けられる」という誤解を与えるからなのですね。

「嫌なことはしない」という観点で考えるなら、それは具体的なシゴトや行動というより、「人をだましたくない」とか「人をできるだけ傷つけたくない」などの「心の指針」「自己哲学」として持っていればいいのではないかと、僕は思います。



そして、イキモノは、生きていく上である程度の苦やストレスに耐えられるように出来ています。
適度なストレスがあるから、耐性も身につきます。
僕ら人間(現代社会に生きる日本人)だって、本来は野生のイキモノと同じ。
ストレスのない世界で生きるようには出来ていません。
むしろ、寒さ暑さや空腹、疲労など、いかにストレスに耐えしのいで生き延びるか、というのがベースになっています。
(我慢し続けて心や体が病んでしまう人もいるけれど、それは、「ある程度」というセンサーが不調になってしまったからでしょう。センサーも体の一部だから、そもそもあまりに弱いとすぐにそれ自体が不調になってしまうのだと思います)

人間は、科学や社会システムを発展させることで、「嫌なことは避ける」術を増やしてきました。
快適な環境を整え、食糧を生み出し、自分がやりたくないことをひたすら人に押し付ける社会構造もつくりました。
でも、その一方で、身も心も「病」と背中合わせで生きるようになっているようにも思います。
常に精神の奥底に「不安」を抱えているように思います。

もしも(ありえないけれど)全くストレスのない、「好きなこと」だけの世界にいられるとしたら・・・
きっと、「好きなこと」にも何も感じなくなって、人格も崩壊していくんじゃないだろうか?

夜と昼が繰り返し、人間にとって善玉菌がいて悪玉菌もいる。
楽しいことがあって、穏やかな時がある。
不快なことや悲しいことや苦しいことが波のように押し寄せて、でも、その中で輝く喜びの瞬間も見つけ出す。

世界との対峙の仕方って、それでいいんじゃないかな。



話は戻って、除雪作業。
僕はこのシゴトがほんとに嫌いなのですが、だからと言ってやらないわけにはいきません(お金を払ってやってもらうはずもなし)。
でも、この場所で暮らすって、それを受け入れるしかないのです。
「ホント不毛だよな!」と思いながら、「ナニクソ畜生、負けてたまるか」とイースタンユースの『ナニクソ節』を歌いながら、体を動かすのです。

で、家に入って暖かいお茶を飲みます。
「いやあ、ほんと不毛だよねー」と同居人に愚痴り、翌朝また積もっていたら、「勘弁してくれー」と笑うのです(笑うしかない)。
そんなこんなしながら、春を待ち焦がれます。

この地での暮らし、僕は嫌いじゃないのですから。
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(また屋根の雪、落ちてきた・・・苦笑)
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『ひとつぶのタネのチカラ〜タネの交換会と学習会』
  〇日時 2018年2月18日(日)9:45〜11:45
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  〇参加費 800円程度(調整中)
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2017年10月16日

明日のための、タネ採り。


なんだか今年は春先からずっと慌ただしくて、いろいろなことが中途半端になっているなー、と感じています(いや、それはもう「いつものこと」で、ちゃんと出来てると思えたことなんてないんだけど(苦笑)・・・今年は特に!)

1週間の中でしっかり家で作業できるのが正味2日程なのですが、その大半を今年は「小屋づくり」に充ててしまってるので、どうしても畑に手が行き届きません。
タネまきも遅れがち、苗を育てても定植が遅れ、除草を適期にしてあげることもなかなかできず。
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それなりに豊かな恵みをいただいてはいますが、自分の心に描く「美しい畑」のイメージには程遠く、もどかしいなあ、と思うのでした。

山の手入れも本当はもっとしたいし、エネルギーの研究もしたいし(発電、ロケットストーブ、井戸掘り等等々…)、発酵食、保存食もいいタイミングで仕込みたいし、思いついた面白い講座をもっといろいろカタチにもしたい。
ヒョウタンやワラの加工、作品化もやりたくてウズウズしながら時間が足りず・・・。



そんな日々の中、しばしば考えるのは、「一番大切にしたいのは何だろう?」ということです。

僕が扱うテーマは「暮らしにかんすることすべて」なので、あまりにも多岐に渡ってしまい、どうしても「アレもコレもやらなきゃ」「ああ、時間が足りない!」となってしまいます。
限られた時間を有効に使うためにも、やっぱり、自分の中に「優先順位」のモノサシを持っていなければならないのです。


抱えきれないほどあるやりたいことの中でも、譲れない、一番大切にしていきたい分野・・・それは、やっぱり「タネのこと」かな、と最近あらためて感じています。
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食べ物にかんすることも作品づくりも、僕の場合はほぼすべて栽培から始まります。
暮らし自体が、タネを播き、育て、またタネを採る・・・というサイクルと共にあって、他のことはその<軸>の周りにある<枝葉>の部分なのだな、と思うのです。



そして、それはきっと、「人間の1万年の歩み」そのもの。
人間が始めた<農>という行為は、歪さや矛盾もたくさん内包していて、決して清らかなものではありません。
だって、農は、農法の如何を問わず、「他の生命を自分の都合で管理していくこと」ですから。
だけど、迷いながら、自分の手でタネを採り、彼らと向き合うことで、体レベルで納得していくことが多いのです。
おそらく、自分の命よりずっと重たいもの、とタネをとらえていたことでしょう。

彼ら(タネたち)をすべて生命として認識し、敬意を持って向き合うこと。
繰り返し、繰り返し、タネを採りながら、暮らしをつくっていくこと。
次の時代に1種類でも多くタネを継ぐこと。
もうそれだけで、この世界に自分が生きている甲斐があるってもんじゃないか・・・そんなふうに思います。



先月は、児童会館の子どもたちと、「タネ採り」しました。
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5年くらい一緒に活動させていただいている子どもたちは、当たり前のようにタネを採り、後輩たちにタネを引き継いでいます。


昨日は、自分のところで「タネ採り講座」を開催しました。
『今日採るタネが未来をつくる〜明日のためのタネ採り講座』と、ちょっと仰々しい題をつけてしまいましたが、実際これが僕の「タネに対する本音」です。
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うちで開く講座の中でも地味〜な講座なのですが、その分、熱心な方にご参加いただき、嬉しかったです。
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いつにも増して長々と話してしまいました・・・スミマセン。


これからも、タネを採り続けるのはもちろんのこととして、「人間とタネのかかわり」を様々な視点で伝えられるよう、勉強していきたいと思っています。
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何気なくある一粒ひと粒がすべて「引き継がれ続けて今ここに存在し、次世代に運ばれていく生命>なのだ」ということを心にとどめて、彼らとかかわっていきたいと思っています。
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★暮らしを学ぶ・暮らしで遊ぶエコビレッジライフ体験塾では、各種講座・イベント行っています。
自主企画の講座の他、随時出前講座も承っています。


『つけもの日和。』
実りの秋。食欲の秋。どして、秋と言えば「漬物仕込み」の季節!
ご好評いただいた「漬物講座」、今年も開催いたします。
仕込むのは、漬物の基本「たくあん」と、北海道のソウルフード?「ニシン漬け」。
たくあんは、シンプルで誰でも失敗ナシの技をお伝えします。

〇日時 11月12日(日)13:00〜17:00
〇場所 エコビレッジライフ体験塾(当別町金沢147−1)
〇参加費 3500円
〇定員 10名

  *講座の詳細については、HPまたはFacebookにてご確認ください。
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2017年08月20日

わがままな卵。

現在うちにいるCoccoさんは22羽。
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そのうち4羽がチャボさんで、産卵してくれるCoccoさんは16〜7羽です。
そして、この春に孵化したピヨコが・・・
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この通り、まだ幼さは残りますが、オンドリさんになりました。

今群れに入れてしまうとイジメられそうなので、もう少し体がしっかりするまで別のケージで飼っています。



16〜7羽のCoccoさんが産んでくれる卵は、この時期なら毎日12個前後。
もちろんうちで食べるには多すぎます。
なので、うちに来る方やお友達に買っていただいています。
長沼方面には僕がしばしば用があるので、何人かのお友達のところにまとめて配達もしています。
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「配達」といっても、決まった日に行くわけではなく、僕が用がある時にまとめて行くので、かなり不定期です。
今の時期は田んぼでの作業があるのでほぼ週1回ペース(曜日は不定)ですが、秋以降は2週間以上空いたりもします。おまけに、冬になれば産卵率も落ちるので、お届けのペースはCoccoさん次第になってしまうのでした。
まあ「販売」なんていうのが申し訳ないくらいの<わがままな卵屋さん>です。
でも、それを理解した上で「いつでもいいですよー」と喜んで下さることが嬉しいので、お届けも続けています。

いただいた「卵代」はCoccoさんの稼ぎ。
そこから買うエサの代金を払い、日々の諸々のお世話代を僕がいただいています。
気分的には「Coccoさんに雇われている」感じです(笑)。



さて、工業製品ではない卵は、本来365日同じように得ることはできません。
季節によってCoccoさんが卵を産むペースは大きく変わりますし、1年目にほぼ毎日産んでくれる子でも2年目の冬には3〜4日に1個になったりもします(そういう子は通常「廃鶏さん」です)。

いや、どんな食べ物も、本当は同じ。
たぶん「欲しいときにいくらでも…」なんて感覚の方が、オカシイのです。
その時得られるものを食べて、生きる・・・それがきっと、本来の人間の在り方なんじゃないでしょうか。
もちろん僕らはすでにそうできないし、「いつでも欲しい(欲望の)ままに」を叶えるために人間社会は大量生産のシステムを構築してきました。
おそらくもう、人間が滅亡するまでそれは変わらないでしょうけれど、せめて「どういう在り方がマトモなのか」を忘れずにいたいと僕は思っています。

だから、「Coccoさんのペース(もしくはそれを届ける僕の都合次第)で・・・」と卵を待っていてくれる方とのコミュニケーションを僕は大切にしたいと思うのです。
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お代の包みにはこんな心遣いもあって、本当にありがたいです。



だけど・・・
日本の「有機農業」は、実はもともとそういう発想で行われていたのです。
今じゃ「基本的に農薬を使わず有機肥料で育てる栽培」もしくは「高付加価値の生産」みたいになってしまっていますが、有機農業黎明期の方々が「育て方」以上に大切にしていたのが、「食べる人との関係性」であったはずです。
「売る」「買う」ではなく、「その時採れたものを分け合う」ための方法として「提携」というつながり方をしていたのも、その為です。

育て方だって、「大量生産された有機肥料を買って投入する」のではなく、その場所で生じる草や野菜くず、家畜糞尿を使うことを基本としていました。
だから有機栽培には家畜の存在が重要で、畑から出るもので人間が食べない部分を食べてもらい卵や糞をいただく「関係性」が不可欠でした。
当然、微生物も大事にされましたし、虫たちや作物以外の植物(雑草)も「いなければいい!」「全部殺してしまえ!」ではなく、関係性の中でバランスを取ろうとしていました。

そういう「生態系を模した関係性づくり」が「有機栽培」であると、今でも僕は考えています。
経済活動としてそれをするのはとても難しいし、自給的な暮らしでだって簡単なことではありません。
でも、「理想的な人間の在り方」を模索することをやっぱり続けていきたいと思うのです。
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(Coccoさんのエサも、全部自分で賄えればいいのですけどね)

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★暮らしを学ぶ・暮らしで遊ぶエコビレッジライフ体験塾では、各種講座・イベント行っています。
自主企画の講座の他、随時出前講座も承っています。


『今日から我が家も発電所〜イオさんの独立型太陽光発電講座』
今年も行ないます、イオさんの太陽光発電講座。当然、重要なのは<独立型>であるということです。
前半は、イオさんこと早川寿保さんにエネルギーについて語っていただき、後半には実際に太陽光発電のキットを組み立てる演習を行います。
希望者には初歩的なキットの販売もしていただくことになっています。
〇日時 9月9日(土)13:30〜16:30
〇場所 エコビレッジライフ体験塾(当別町金沢147−1)
〇参加費 2500円
〇定員 15名


『イオさんのアーシング講座』
「アーシング」とは、一言で言うなら「大地、地球とつながること」。
現代に生きる私たちは、様々な電気製品や配線、携帯電話からから出る電磁波などを浴びながら暮らしています。それが「原因不明の不調」の原因となっている例もしばしばみられるようです。
この講座では、アーシングのメカニズムを学び、家庭ですぐに使えるアーシングマットを制作します。
〇日時 9月9日(土)10:00〜12:0
〇場所 エコビレッジライフ体験塾(当別町金沢147−1)
〇参加費 3900円(材料費込み)
      *午後の太陽光発電講座まで参加の方は6000円
〇定員 10名


映画上映会『Tomorrow パーマネントライフを探して』
「農業」「エネルギー」「経済」「民主主義」「教育」の5つの分野にスポットを当て、パーマカルチャー、トランジション・タウンなど、世界各地で新しい取り組みを行っているパイオニアたちを次々と紹介していくドキュメンタリーです。
オフィシャルサイト:http://www.cetera.co.jp/tomorrow/
〇日時 9月18日(月・祝)@10:00〜 A13:00〜
          B16:00〜 C19:00〜 *4回上映
〇場所 エコビレッジライフ体験塾(当別町金沢147−1)
〇参加費 1200円(当日受付)、1000円(事前予約)
〇定員 15名/各回

posted by イトウ at 09:33| Comment(0) | 思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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