2016年09月28日

美しき世界。

イキモノは基本的に、成熟すれば自分で喰うものを得る。
喰い(吸収し)、呼吸し、排泄し、やがて死ぬ。
そして、ある個体の生命活動の行く末(排出したもの、遺体や死物)は、すべて別な種、別な個体の生存を支える物質となる。

生命活動(呼吸や排泄)自体もそうであるし、死体も100%、次のイキモノの糧。
自然界での「イキモノのつながり」、「共生」の主軸となる関係性は、つまるところ「喰う・喰われる」なのだ。
すべてのイキモノは、存在するだけで(そして死ぬことによって)他の生命を支え、生態系を支え、この地球上で物質とエネルギーを循環させる動力となっている。
この世界において、欠くことなく役割を担っている。

・・・人間(と人間に付属しているイキモノ)だけが、例外だ。



人間は、多くの個体がとても間接的な方法で喰うものを得る。
多くの個体を養う糧は、それまでの生態系を大きく破壊した上で(農という技術によって)生み出される。
生態系において本来不可能な程の、異常な個体数が生存し続け(さらに増加しようとし)ている原因は、「農という(暴力的な)技術」と「化石燃料という貯蓄の切り崩し」による。


さらに、他のイキモノの糧にならないような物質を大量に使い、、ゴミと呼ばれる物質を排出する。
自分の生きている間には分解しきれないような毒やゴミを生み出し続けながら生きている。

自然界には「ゴミ」というものは、存在しない。
すべてが「他の生命の糧」だ。
人間だけが、ゴミを生み出し、撒き散らす。

一方で、他のイキモノにとっては大前提である「排泄物や遺体を次のイキモノに提供すること」すらしない。



世界で一番・・・
というか、唯一無二の、歪なイキモノ。
唯一無二の、役立たずなイキモノ。
それが人間。



どんな異形な容姿をしたイキモノ、特異な生態を持つイキモノよりも、人間は「歪なイキモノ」じゃないだろうか。
人間に生をコントロールされている栽培作物や家畜、ペットもすでに相当に歪なイキモノに見えてくる(人間も家畜の一種と言えるかもしれない…)。



「持続可能な・・・」とか、
「自然と共生・・・」とか、
「地球にやさしい・・・」とか。
「循環が大切・・・」とか、
「エコエコ・・・」とか、耳障りの良い言葉が流行りのように飛び交うけれど、まあ、そこで行われるほとんどは、金のメッキを塗る程度のこと、もしくは己の罪悪感をもみ消す程度のことじゃないだろうか。

と、(本心を明かすなら)僕は思っている(自戒の意も込めて)。



だから、糞土師・伊沢さんが野糞から発する「糞土思想」も、それで「人間の歪さ」を覆すような大きな変化をもたらすとは思っていない。
僕らが時々野糞をする程度のことで、社会が大きく変わっていくわけじゃない、と思う(そりゃそうだ)。

だけど・・・
それでも僕は、糞土思想は素晴らしいし、「人間が野糞をすること」はとても重大な価値を持っている、と考えている。


何故なら、僕ら人間が真に生態系に寄り添うことができる行為は、すでに野糞くらいしかないからだ(土葬や鳥葬が許される国に行けば別だけれど)。
そして、「人間もまた一つのイキモノに過ぎない」という、大事な事実を感覚的に伝えてくれるからだ。


たとえば僕は、できるだけ自給的な暮らしを模索している。
理由はたくさんあって、「22世紀まで続けていけるような人間の在り方を見つけたい」と思うのもその一つだ。
自分でタネを採り、育てることも、鶏を飼うこともそう。
自分の暮らしをできるだけ小さい循環に委ね、生態系の姿を意識しながら暮らしをつくりたいと思っている。
それが、僕が考える「持続可能な人間の暮らし」だ。

そしてその技術のほとんどに、微生物の力を借りている。
微生物が物質のカタチを変える力、分解する力、他の生き物を生かす力は僕の暮らしに欠かせない(だから僕は、微生物って神に一番近い存在だと思っている)。

糞尿についても、(今は休止中だけど)コンポストトイレで処理していた。
水洗トイレは、まさに「臭いものに蓋をしちゃえばいい」「後はオラ知らねえ」という無知蒙昧、無責任極まりない発想の源泉だと感じるから、それよりは遥かにマシな処理法だと思う。

だけど、僕がやってることは、結局は「生態系を利用」しているだけなんだ。
自然の生態系を真似、微生物の力を借りながら暮らしを廻していく。
あくまで自分の暮らしを中心におくという発想。

それに対し、野糞は、ダイレクトに生態系に入り込む方法だ。
生態系を「利用」するのでなく、自分を生態系に寄せていく謙虚さがある感じがする。
実際に自分で野糞をしていてもそう感じる。

僕は野生動物のようには生きられないから、農の技術を使い、生態系のシステムを「利用」する。
それ自体は良いも悪いもない。ボチボチ生きさせてもらってます、としか言えない。
ウンコもオシッコももったいないから、栽培に使いたいと思う。

でも・・・
やっぱり半分くらいは「野」でしたい。
そうすることで、得られる感覚を大事にしたい。
生態系の「本当の姿」を体に覚えさせておくために、野糞という行為を大切にしたい。



9月17日の伊沢さんの講座で、3週間前に埋めた僕の野糞跡を掘り返す実習をした。
自分の排泄物が微生物によって土に同化していく様子、植物がそれに根を伸ばして集まってくる様子を見て嬉しかった。
なんだかタイムカプセルを掘り出すような気分だった。
P9171068.JPG

その後、「もっと変化の様子を見たい」と思った僕は、糞土師流野糞法(伊沢さんは人間としてのマナーも重んじて埋めるようになった)ではなく、「放置」してみることにした。
誰も来ることのない自分の場所だからできる実験だ。

体外に放出された僕のウンコ。
野に放たれた20秒後の写真がこれだ。
P9181119.JPG
瞬間的に集まってきた蝿たち。
ああ…瞬く間に、分解は始まるのだ。
それは崇高な儀式のように僕には見えた。

彼らは、僕の排泄物を糧とし生きる。
蝿の排泄物はきっとまた何かの糧になり、やがてこの森の植物を育むだろう。

「僕は今、生態系の一部になった」
そう感じたのだった。


そして、様々なイキモノの糧となり、3日後には僕の排泄物は姿を消した。
P9211180.JPG
3日間の変化は、とてもドラマチックで、僕は見るたびに胸が熱くなった。



何一つ無駄になることなく、無数のイキモノがかかわり合いながら成り立っている世界。
すべてのイキモノが、存在しているだけで意味を持つ世界。
この世界はなんて美しいんだろう。
自分もできればこの世界の一員として、イキモノとして、まっとうでありたい。
そんなふうに思う。

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posted by イトウ at 21:08| Comment(0) | 思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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