2016年02月28日

「常識」の地図。

引っ越してきたばかりのこの家は、築年7くらいの中古住宅。
前の家主さんが思いを持って建てて、大事に住まわれていたことを感じる、いい家です。
相方もはじめて見に行ったその日に「ここだね!」と決めたくらい、土地も含めて気に入った出会いでした。



ただ、一点、問題がありました。
僕らが入る前、ここはオール電化住宅だったのです。

「それはちょっとなあ…」ということで、迷った挙句、ガス、灯油等に設備を総交換しました。
予定外の大きな出費でしたし、電気の契約(ドリームナントカとか?)を変えるのも面倒なものでしたが、結果的に、キッチンはプロパンガス、ボイラーは灯油、ストーブは薪(と補助的にFF式ストーブ)という設備は、今のところ効率よくエネルギーを使いつつ、我慢せずに生活できるもので、満足しています。
P2020251.JPG



この家が建った7年前くらいは、ちょうどオール電化イケイケ!のピークだったようです。
「オール電化住宅に薪ストーブ」というのはちぐはぐな気もしますが、それも受け入れられるくらい「豊潤な電気」が当たり前だったのでしょう(薪ストーブはもともと備えつけられていました)。
実は、僕の友人でも5年以上前(つまり2011年以前)に建てた方はオール電化の人が多く、「今更入れ替えはできないけど、せめて使い方は変えていきたい」と考えているのをよく聞きます。
やはり3.11が「思考の転換」のきっかけになっているのだと思います。

僕は高校生の時に広瀬隆さんの『危険な話』を読んで以来、原発は信用してこなかったし、教員時代も環境教育や人権教育が一番大事と考えていたけれど、それは「どちらかっていうと変人」の部類だと自覚していました。
帰国して、2008年頃から少しずつ今のような自給的な暮らしを始めてからは、ますます周囲と比べ「あまり一般的な考えでないのだろう」と思いながら過ごしていました(部分的に「薪ストーブってカッコイイね」「家庭菜園やってみたいなー」という声はしばしば聞きましたが…)。
だから、僕は僕自身を基準には決してしません。
むしろ「自分の成していること」の現在地を位置づけたいので、「世の常識」「社会における一般的意識基準」を常に探っていたりします。



2011年の3月以降に「電気とのつき合い方」や「電気だけじゃなく暮らし方そのもの」を見直すべきなんじゃないか?と考えるようになった人たちを、僕はすごいな、素晴らしいな、と思っています。
それは、すごく素直で柔軟で、「より良く在りたい」とする意思ゆえの思考だからです。
ここ数年は「そういう暮らし方そのものに共感」し合える方たちばかりとつき合うようになったので、「ボタンを押せば快適が得られる」ような暮らしが「不自然」で、実は「本質的に効率が悪く」、そして「つまらない」ことが誰にとっても「当たり前」であるかのように(うっかり)感じていました。

ですが・・・。

先日あった会合(普段僕がお付き合いあるような方たちとは違うタイプの集まり…うーん、表現がムズカシイ…)でチラリとその「設備入れ替え」のことを話したら、「へえ、時代と逆行してるねー」と言われてしまいました。

それがその場の「主流」の考えでした。
一瞬、唖然としました。
冷水をかけられたような気分でした。
でも、そうなんです。
世の「多数」「当たり前」は、今でも「オール電化で電気代安ければそれでOK」なのかもしれないのです。
だから、電気代の値上がりに対し「オール電化のメリットがなくなった」と嘆くし、ガソリンや灯油が安いのは諸手を挙げて歓迎なのです。
仕方のないことなのだと思います。
僕の暮らしなどは、その(一般的な)方々から見たら「前時代的なことを趣味としてる」だけに映っているのでしょう。
それが、現在でも日本という国の大多数の思考なんじゃないでしょうか。

だって、この期に及んで新たに原発が再稼働するのですからね。
それに対してメディアも、市民も、それほど大きな反応をしないのですからね。
「暮らしや生命よりも、金儲け(含・戦争)に価値アリ」という政策をすすめる政権が支持され続けるのですからね。
この国の多くの人にとっては、3.11すらも「原発がトラブったとしてもこのくらいで済むんなら気にしなくていいかも〜…(うっすらとした心配はあるけれどね)」と感じた出来事なのかもしれません。

たぶん・・・それが今の日本の大多数の人の「常識」「普通の意識」なのです。



そういうこと、自覚するのは必要だなあ、とあらためて思いました。

僕のやってることなんて「当たり前」じゃない。自分たちがまだまだ「異端」であることは、わかっていなくちゃダメなんです。
もちろん「最先端」だと僕自身は思っているけれど、己の「社会における位置」「一般常識から見た姿」はおさえておかなきゃなりません。
そうじゃなきゃ、戦略的に人に話もできません(話し方を間違えたら、「変わった人」で話は終わりです)。
伝えたい相手と自分の「意識の差」を踏まえた上で、伝え方、見せ方を工夫する必要があるだろうと思っています。



人が真似したくなるような「22世紀型の暮らし」を目指すのは当然のこととして、且つ「賢い伝え方」を模索し続けなきゃなあ、と思うこの頃なのでした。
「ただの変人」じゃ意味がないですからね。
「電気代さえ安ければオール電化でいいじゃん」と感じてる人たちに、「あれ?そっちの方がおもしろそう…」と思わせられるかどうか。
・・・たぶんそれが、僕のこの世界での役割です。

posted by イトウ at 01:12| Comment(0) | 思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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