先月仕込んだヤツがいい塩梅になり、ここ数日は「自ビール」を楽しんでおります。
6月20日頃から始めた今年のビール仕込み。
10日程の一次発酵を経て、瓶詰めしたのが6月末(体験塾の皆さんにもお手伝いいただきました)。
その後数週間寝かせて・・・
ようやく現在、飲みごろなのでした。
うんうん、美味い。
ただ、これは「ビールも自給してます!」なんて言えるようなシロモノではありません。
「モノヅクリ」としても、それ程胸を張れるようなものでもなく、実はプラモデルに近い感じです。
(いやもちろん、プラモデルづくりだってピンキリですけどね)
僕は日頃から「できるだけ自給的に暮らしたい」と思っていろいろ試行錯誤しているのですが、突き詰めて考えて「これは自給している!」って明確に言えるようなことは本当はあまりなく、このビール造りもその一つなのでした。
僕が例年楽しんできた「ビール造り」は、「麦芽を糖化させて煮詰めて好みのホップを加える」という一番オモシロイはずの工程がすべて済んでいる「モルトエキス」の缶詰を使っています。東急ハンズなどで調達したモルト缶を開けて、お湯で溶いてビール酵母を加えるだけなので、そんなに知識も技術も必要ありません。
(実は先日、もう一歩進んだ「ちょっと本気のビール造り」も行いましたが…)
なので、「缶詰ビール仕込みはビールの自給じゃないよなー」って思いは以前から持っていました。が、「モルト缶のお手軽ビール仕込み」も、「それはそれで価値アリ」っても思っているのでした。
「缶詰ビール仕込み」は「自給」ではなく「DIY」の範疇ですね。
じゃあどうすれば自給と言えるのか・・・。
自分で栽培した大麦を発芽させれば自給と言える?いや、でも、ビール酵母を買うなら自給とは言えないかなぁ?
瓶はリユースするけど工業製品だし、栓は買ってきて使い捨て。打栓器だってもちろん買いました。
どこまでいっても「完全に自給!!」とは言えないような気がします。
いや、・・・それでいいんですよね。
DIYも自給も、消費者も生活者も生産者も、明確に線引きできるわけではなく、ムラのあるグラデーションに位置するんじゃないでしょうか。
僕という人間も、「なるべく自給」を目標にしながら、いろんな既製品を買ったり、いろんな材料や道具を買ったり、DIYを楽しんだり、「ほぼ自給!」を達成して(それは今の社会では不効率極まりないけど)自己満足にほくそ笑んだりしています。
小屋づくりはまさにDIY!ホームセンターで買ってくる木材と金物で行います。
薪ストーブはエネルギーの自給?
いやあ、結局車で運んで来ないことには丸太も調達できないしねえ。
醤油は小麦と大豆の栽培から3年がかりで造るけど・・・
でも、肝心の醤油麹(の種菌)は買わなきゃならないし、電気ホイロで保温するし。
「頑張ってるDIY(笑)」って感じかな。
卵は自給!・・・ってわけでもないか。
ヒヨコはだいたい買いますから。エサも概ね。
うう〜〜〜ん・・・。
あんまり自給はしてないですねー。
でも、まあ、「とりあえずDIY」でいいんじゃないでしょうか。
だって、それは、とても楽しくて知的好奇心に満ちたものだから。
そこから学ぶことがたくさんあるから。
少なくても、暮らしに必要なものすべてを「できあがった状態で買う」よりずっと、「この世界の成り立ち」が見えてくるから。
お手軽なDIYでもいいから、自分の手をつかってつくり出すことを繰り返すことで、「現実的に求められる社会のあり方」なんてものも見えてくる気もします。
僕ら人間は、「自分の手で暮らしや社会をつくっていく」ようにできていると思うのです。
ただ、「DIY=Do It Yourself」って言葉はちと気に入りませんけどね。
「自分でやる」って訳されたりもするけど、ほんとは「お前、自分でやれ」って意ですよね(歴史を紐解いても)。
今僕らが求めている姿勢には、「Do It Myself」が相応しいはず。
いや、僕の場合は、「Do It Ourself=DIO」の方がいいかな。
独りでやるより、共有しながら楽しみたい。
ぼちぼちDIOでやっていきたいと思います。
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