2015年07月07日

イキテイルということ。

タネが芽を出す様子には、掛け値なしに美しく、愛おしいものと感じさせられます。

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それは、「生きる姿」への心の共鳴かもしれません。

元気に(爽やかに)葉を広げる様子を好ましく感じるのはもちろんですが、こういう姿はどうでしょう。

岩盤のような土の層の下で、もがきながら伸びていく芽。
虫に食われながら、満身創痍で地上に顔を出した芽。
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生命というのは本当に不思議です。

「イキテイル」とはなんなのか、向き合うほどにわからなくなってしまいます。
(「代謝」や「増殖」、「電気信号」での説明も可能ですが、それでも尚、「イキテイルもの」と「イキテイナイもの」との明確な境は判然としません。自然科学的にもいろんな論がありますしね…)

とらえが難しい細胞レベルの話でなくとも、僕らの周りは認識しづらい「生命らしきもの」で溢れています。
例えば、初期生育のための最重要な豆っ葉(小葉)を鳥に食べられ、爪楊枝のように立っているダイズの茎。
これは生命でしょうか?
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もちろん、イキテイルんですよね。
その生が続いていくと、新しい展開が生まれます。
結果的に新しい葉を出せずに枯れていく(生命ではなくなる)ことも、多々あるでしょうけど。
しばしば、僕はこれを生命とは判断できずに殺してしまったりもします・・・。
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日々食べている豆や米の粒。
これらも当然、生命。
呼吸しながら、じっと芽生えのタイミングを待っています。
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トマトの中の・・・グツグツ煮られていく前のタネ、ひと粒ひと粒がすでに生命。
その多くは、播けばちゃんと芽を出します。
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切った小枝やひとカケラになったキクイモ。
これらも、イキテイルのですね。
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無事に新しい展開につながったこの子達はラッキーですが、枝やイモのカケラの「生と死の境界」ってあるのでしょうか?
そりゃあるのだろうけど・・・よくわかりません。
きっと僕ら動物のような「一個体」としての生命とは違うとらえ方が必要なのでしょうね。
菌類黴類然り。
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5月初めに産み落とされ、温められた卵たち。
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結局、無事に孵化したのは1羽でした。
母鶏と一緒に元気に暮らしています。
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では、孵らずに終わった卵たちは・・・?

途中まで発生したのに、「死んだ」もの。
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有精卵でも、ごく初期に発生の止まってしまったもの。
「死んだ瞬間」があったのでしょう。

無精卵は呼吸も代謝もあるけれど、それを維持することはできないから、「生命」ではないのかな。



今年は豆の発芽率がイマイチでした。
(いえ、発芽率が悪かったのではなく、虫や鳥に食われて発芽を確認できなかったものが多かったのです)
5、6月だけで6羽も鶏がキツネに食べられました。
(キツネは味をしめて昼間でも頻繁に姿を見せるようになってしまいました…)
腸の調子が優れず、「自分の腸内の善玉菌たちがたくさん死んだのかなー」とか考えていました。
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いろんなイノチが生まれては死んでいく・・・
まあ、いつもと同じ当たり前の春が過ぎました。
イキテイルってのは、相変わらず不思議でよくわからなくて、それを思うとそわそわしてしまいます。

一つ確実に言えるのは、「この瞬間も無数のイノチに囲まれてイキテイル」ということ、それだけです。
posted by 野良人イトウ at 21:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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