2013年11月14日

僕らの暮らしと「生命」。(前篇)


11月9〜10日は体験塾2013第9回目のプログラムでした。
今期最後の宿泊プログラムだったため、「これは是非体験していただきたい!」と感じていることをみっちり詰め込んだ内容となりました。

今回の大きなテーマは「暮らしと生命」です。僕たちの暮らし、というか僕たちが「生きている」ということは「他の生き物を殺したり利用したりする」ことと同義だ、と僕は思っています。なので、体験塾のプログラムの根底にはいつもその大テーマが流れている(つもりな)のですが、今回は特にそれを明確に感じていただきたいと思って活動を設定しました。

行ったことは、具体的には「発酵」と「屠畜」です。
「発酵」は、次回最終回の味噌づくりにつながる「麹」、そして今年採れたて?のイナワラを使った「納豆」の仕込み(見学のみですが、天然酵母を起こしてカンパーニュを焼く過程も見ていただきました)。
「屠畜」は、東川で自然養鶏のファームレラを営む新田由憲さんを講師にお招きし、鶏さんの命をいただいてお肉にして食べるまでの実習を行います。

宿泊プログラムの際の開始時間は通常、土曜日の13時なのですが、今回は10時に来ていただきました。「麹と納豆の仕込み」をやりたかったからです。完成までに麹は50時間ほど、納豆も30時間はかかるため、出来上がるところまではさすがに無理なのですが、それでもある程度は体感していただけるスケジュールに設定したのでした。



さあ、いよいよプログラム開始。
挨拶もそこそこに、まずは麹の仕込みです。

前夜浸水し、1時間かけて丁度蒸しあがったお米に、麹菌を「種付け」していきます。
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米袋に入れて「堆積」したものを32℃に設定したホイロで保管。カンパーニュ用のポーリッシュ種と仲良く培養(発酵の作業も、この電気ホイロが来てからずいぶん楽になりました。・・・が、実は今回入れてしばらくしてなんと家が停電し、その後数時間後に気づくまで20℃程度の状態にしてしまったのです。何とか大丈夫でしたが、電気に任せちゃうのは怖いなーとあらためて思いました)。

麹の収めたら、すぐに納豆の仕込みにうつります。

まずはイナワラをキレイに整え藁苞(わらづと)づくりです。
この作業に20〜30分かかるので、ここでようやく皆さんとちゃんとご挨拶。しばらくぶりの方々と、近況報告を行いました。
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3cmくらいの太さに出来たら、雑菌を殺すために藁苞を煮ます。このあたりは、「納豆菌の生命力」に十二分に驚嘆し、彼らに敬意を持ちながら行いたい作業です。
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アツアツの煮大豆を藁苞に入れて・・・
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新聞紙でくるんで保温容器へ。納豆の温度確保(40℃)は、湯たんぽで行います。



午前中の作業はここまで。
この後、数時間ごとにどちらもメンテナンスしながら、翌日のお昼(プログラム終了時)まで管理していくのですが、それは、彼ら菌類の生命を感じる作業でもあり、生態系に思いを馳せる時間でもあります。
発酵における「管理」とは、「生き物の環境を調整すること」と言えるでしょう。



昼食の後は、鶏の屠畜実習です。
今年の参加者の方々にとっても、この実習は大きな意味を持っていたようです。
「数日前から緊張していた」という方や「ギリギリまでやるかどうか迷ってしまった」という方、「貴重な機会だから是非やってみたい」という方、思いはそれぞれですが、皆さんの真剣に「生命と向き合おう」とする気持ちが伝わってきました。

僕がこの実習を行うにあたりいつも気をつけていることは、過剰に「殺す」ことを意識しないということです。
「食べる」ことを目的とした「生き物として当たり前の行為」をできるだけ自然に行うのだ、という雰囲気をつくりたいと考えています(もちろんなかなかそうはなりませんけど…)。
何を感じるか、は参加された方次第。僕たちはまずは「安全への配慮」それに「技術」を伝えれば十分なのではないかと思うのです。



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緊張が高まる中、講師の新田さんより「作業」の工程と注意点をお話しいただきました。
まず、自分で鶏を捕まえ、羽と足を片手で押さえて鶏の体をしっかり固定します。そうしなければその先の作業ができませんし、なにより安定して固定されることで鶏も観念することができます。不安や迷いがあるとしっかり固定できず、鶏が暴れて手元が狂うこともあります。
屠畜は食べるために生き物を殺す行為ですが、「どう殺すか」というのもとても重要なのではないでしょうか。
新田さんからも、「何より安全に」「気持ちが揺れているならやらない方がいい」との言葉がありました。

作業は、「鶏を片手で固定し、もう片方の手でナタによって首を落とす」→「血抜きする」→「熱湯につける」→「羽をむしる」という工程で行います。
お手本として新田さんが上記の作業を行うと、場の緊張感もグッと増したように感じられました。

いよいよ作業を始めます。昨年の経験者から順に、1羽ずつ、心を込めて屠っていきます。
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首を落とすことはできなかった方にも、生きた鶏を抱えてもらったり、血抜き中の鶏の足を持ってもらったり、毛をむしってもらったり、できることをできるだけやっていただきました。この実習の目的は「鶏を殺す」ことではなく「食べる前段の作業を体験する」ことにありますから、自分のできる部分に参加することで十分だとも言えるのです。
ただ、「食べる」ことはすべからく「相手の命を奪う」ことですから、そこから目を背けることはせずにいたいものです。
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参加した2歳のお子さんが首を落とされる鶏を見て、「(私が)ニワトリさんじゃなくてよかった…」とつぶやいていました。そのくらいの子どもはむしろ過剰に自分の中で残酷性をクローズアップしないもので、その子も静かに見入っていたのですが、そっとつぶやいたその言葉が実に素直な感想だなーと思いました。
「殺されたくない」「食べられたくない」・・・そう思っているたくさんの生命を僕たちは毎食毎食奪いながら生きています。



「解体」「精肉」の実習は、室内で行いました。
モモ、手羽、ムネ、ササミ・・・と、肉を切り分け、最後に内臓を取り除く「つぼぬき」を行います。
この段階に来ると「鶏の死体」は「鶏肉」になり、先ほどまでの緊張感とは違う「技術に対する真剣さ」に場が包まれました。
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精肉作業が終わりそれぞれお持ち帰りする肉(鶏ガラ含む)を仕舞った後は、手羽先スープをいただきながらの感想シェアリングです。
「食べるための作業」を行っているのですから、精肉して終わり、ではなくその場で全員で味わうことが重要だと僕は思っています。みんなで心から「いただきます」をして、一緒に味わうところまでがこの実習。さっきまで生きていた鶏さんの、塩だけで味付た「チキンスープ」をいただくことができました。
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皆さんからの感想では、「屠った時の気持ちや感覚」「屠畜や精肉の技術のすごさ」から、「社会構造の問題」まで様々なことが語られました。関西出身の方は特に、屠畜と部落差別は切り離せない問題です(新田さんも大阪の出身。ご自分で屠って食べることにこだわる理由の一つに「幼少から触れてきた差別構造への反感」があるともおっしゃっていました)。
部落に限らず、「自分がやりたくないことを(お金で)人にさせる構造」はいたるところにあります。
そういった「生きる」「暮らす」にかかわる多くのテーマを内在させているのがこの「屠畜実習」なのだと、僕自身もあらためて感じました。

(つづく)
posted by 野良人イトウ at 08:25| Comment(0) | 体験塾2013 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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