2012年08月15日

後ろめたいこと。

動物を飼うことは楽しい。
動物と共にある暮らしは嬉しいものだ。
共に暮らす動物たちは、ペットであれ家畜であれ、家族。
どうしたって情は移る。

だけど同時に、何とも言えない後ろめたさが、僕にはある。
「飼育」するものとされるものの関係は互いに得るものもある「共生関係」ではある(僕は動物たちにエサや安定した環境を与えている)けれど、そこに圧倒的な力関係が存在していることも事実。
放っておけば死んでしまったであろう捨て猫だって、本質的にはそうだと思う。彼らの「生」の大部分を現在、僕が握っている(まあ、ニャンコは相当気ままに暮らしてるけど…)。

まして、「家畜」という名で呼ばれる生き物は、前提として搾取される側にある。
僕はとてもかわいがって大切にヒヨコを育てたし、今も大切にしているつもりだけれど、あの子たちを飼っていられるのは、やはり卵を産んでくれるからだ(もちろんホントは卵以外のたくさんのものを受け取ってはいるのだけれども)。
基本的に、ニワトリは卵を得るために飼うものだ。なので卵を提供してくれないニワトリは「家畜」とは呼びづらい。それは「ペット」だ。
そして、今うちにいるCoccoは、今や完全に「ペット」。
卵は、丸2カ月以上、得ていない。

一応産んではいる(ようだ)。
けど、(何羽がそうなのかわからないけど)卵を割って食べる癖がついてしまったのだ。
なので、無残にかけた空っぽの卵が、毎日1個ずつくらい産卵箱に転がっている。
つつき癖のついた子を割り出して、その子だけ隔離するのが良いのだろうけど、なかなかそこまでできていない。
RIMG0225.JPG

そもそも、つつかなかったとしても4羽いて卵が1日1個。これじゃあ、世話につぎ込む時間、エサ代を考えると、とてもじゃないけど「家畜としての役割」を果たしているとは言えない。
僕は(オスも入れて)6羽のニワトリを、ただ一方的に世話している。



僕は決めた。

9月の体験塾の実習で、この子たちを〆ようと思う。
あまりにも愛着がありすぎて、思いが強すぎて、きっかけがないとできないから、みんなで(余所から分けていただいた廃鶏に混ぜた状態にして)するのがいい。そうじゃなきゃ、できない。

だから、それまではもう、ペットとしてこの子たちを飼おうと思う。
卵は、別にイラナイ(もちろんあったら嬉しいけど)。
今までの感謝の気持ちを込めて、残り丁度1カ月くらいの間、世話しよう。
RIMG0382.JPG



ホントは僕は、家畜を飼うなんて向いていないのだと思っている。
実は植物を栽培するのだって、後ろめたい。
人間の都合で、自分は安全な場所にいて、他の生き物の生をいいように扱う行為、全部シンドイ。

でも、続けなきゃな。
自分の嫌なことを人におしつけて、知らぬふりで生きんのはもっと後ろめたいもんな。


posted by 野良人イトウ at 07:37| Comment(0) | 家畜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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