2011年09月06日

1等米なんてなけりゃいい。



たぶん稲刈りは9月24日だから、すでに20日をきっています。
この写真は2週以上前のものだから、今はもうかなり穂も大きくなっているはずです(そう願いたい)。
SH3J0054.JPG

畑も思うようにならないことが多かったけど、今年は田んぼもなかなか厳しかったですね。欠株が多い分、空いた株間にちょっとでも分げつ数をふやしててくれたら嬉しいのですけど。
「結果的にそんなに悪くなさそう」って噂は聞こえてきます。北海道の空知でも、早いところはすでに刈り始めたみたいなので、耳を傾けておきたいと思います。



だけど、・・・農家さんが作るお米の良否と僕らが感じるそれは、全然違います。

不作よりも豊作がいいのはもちろん。
美味しいほうがいいのも、同じ。
けど農家さんとしちゃ、何をおいても高く売れるってことが至上価値。結局、どれだけ1等米があるかってことが重要です。いくら反収10俵(1000uあたり600kg)獲れたとしても、2等米3等米が多くちゃ話になりません(たしか1等米と2等米で1俵=60kgにつき1000円くらい違ったと思います)。
だから、農村地帯の道路際には「目指せ、1等米!」なんて看板が掲げられていたりします。
「1等米がたくさん獲れたらいいね〜」と、そりゃ思いますよね、きっと。

で、等級を分ける基準にはいろいろあるのですが、水分含有率や異物混入(砂粒とかもみ殻とか)以上に厳しく見られるのが“斑点米”です。
1等米の斑点米率は0.1%以下。つまり5000粒調べて6粒斑点米があったら2等米、16粒(0.3%以上)あったら3等米になってしまうわけです。だから、斑点米が多くて3等米になってしまったりしたら、いくら収量が多くてもとても「豊作だ!良かった良かった!」とはなりません。

ちなみに“斑点米”っていうのは、カメムシなんかが「チュウ」っと吸ってついた、黒っぽい点のこと。よーく見たらわかる、って程度のものです。
自分で育てた米の場合、斑点米率は…?なんて気にするわけはない、どころか、斑点米があるのかないのかも気づかないし気にしないと思います。
知り合いが育てたのをもらったってそうです。ご飯つぶ1000粒に2粒、針先で付けたような黒い点があるのに気づく人がいますか?たぶん100粒に1粒あったってわからないと思います。味が変わるわけでもありませんから。

(ちなみにエジプトとかで、近所のお店で米を買ってきた場合、ご飯を炊く前にみんなで“ゴミ取り”をするのが習慣でした。それこそ、砂とか殻とか虫に喰われて真っ黒になった米とかが結構混じっているからです。そのままで売ってるのが“ふつう”でしたから、当たり前のこととして炊飯の前にはゴミ取りをしたわけです。それが“ふつう”だったから、大して「めんどくせー」とも思わず、みんなやっていましたよ)



「農家さんは大変だねえ」
「ちょっとくらい斑点米があったっていのにねえ」
「でも、やっぱり1等米が獲れるといいねえ」



・・・ふざけんな!!

1等米なんかイラナイでしょ!!



他人事ではないと思うのです。
異物混入よりも斑点米基準が厳しいのは何故ですか?!
殺虫剤使ってカメムシを殺せ、っていう指令でしょう?
少しでも虫に喰われたら値段下げるぞ!そうならないようにちゃんと殺虫剤を使いなさいよ!っていう脅しでしょう?
殺虫剤を買いなさい!っていう農協の脅しなんじゃないのかなあ(もっと奥の深〜い“大人の理由”があるのかもしれないけど)。

・・・で、なんにも知らずに、僕らは米を買って喰うのです。



1等米と2等米が同じ値段で並んでいたら、当然1等米を買いますよね。
なんたって、“1等”ですからね(まあ、商品になった米は、何等米か知らされないですけど)。
農協の指導通りに農薬を使って作られた1等米と農家さんが自分の判断で農薬を減らして作った3等米。どっちが“いい米”と思いますか?

「3等米ばかりでした…」よりも「1等米がたくさん獲れました!」の方が良いに違いない、と僕ら“消費者”は思いますよね。

んで、農家さんはせっせと農薬を撒くわけです。1等米を作るために。



きっと、何でもかんでも他人事にしてきたツケなのでしょう。
何でもかんでも人任せにしてきたツケなのでしょう。

・・・こんな社会に誰がした?!

僕たち、ですよね。
生きること、暮らすことの根本を見えない誰かにゆだねて“消費者様”になってしまった僕らが作ったのだと思います。
札束で頭をたたかれ、一方で誰かの頬を札束でたたくような暮らし。・・・それが“消費者”って存在だと僕は思います。



有機米がいい?

無農薬米がいい?

減農薬米くらいでいい?

まあ、普通の、スーパーで売ってるそこそこの米でいいです、って?



なんかもう、そういう問題じゃないような気がします。
そういう“消費者的選択”自体が、きっと違う気がします。

そりゃ、みんながすぐに自分の米を作れるわけじゃないし、誰もが知り合いから米をゆずってもらえるわけじゃないとは思います。
でも、「私は買う人、食べる人」として自分を“消費者”という枠に押し込めてしまう姿勢が、1等米という存在を生み、原子力発電所まで作らせてしまったんじゃないんだろうか。



原発はイラナイ!!
というのと、1等米はイラナイ!!
は、実は同じところから発せられる言葉だと思うのです。

現在の社会のカラクリを知り、自分の暮らしの主体性を取り戻そうとするとき、それらは必然的に湧き上がってくる言葉だと思います。



1等米なんて、なけりゃいい。
1等米なんかない社会になればいい。

そう願い、自分たちの畑や田んぼや暮らしを見ていきたいと思います。



posted by 野良人イトウ at 08:05| Comment(0) | 思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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