ここ数日はだんだん動きが少なくなり、エサもあまり食べない状態でした。
這うことしかできないのでお腹の毛が禿げて皮膚が傷んでいたり羽がボロボロの状態だったりしたのに加え、内臓の調子も良くないのか最近は下痢状の便をしていました。
それでも水はよく飲んでいたのですが、最後の日の前には、いよいよほとんど飲まなくなり、大好きだったミミズ堆肥にも口をつけなくなってしまいました。
掌に乗せると、静かに息をしながら、いつまでも眠っていました。
時々目を開けては、周りを確認し、また目を閉じていました。
その夜、僕は「もうダメなんだろうな」と感じ、そのままずっと抱いていることも考えましたが、それではまるで死ぬのを待っているようで嫌になり、いつも通り箱に入れました。
箱に入れ、部屋から出るとき、「ピーヨ」とひと声。それがまるで「おやすみ」と言ってるようだと思いながら夜を過ごし・・・翌朝僕は、硬く冷たくなっているピーヨを見つけたのでした。
机の上のピーヨの箱を片づけたら、なんだか部屋の中が、随分がらんとしてしまいました。
あんなに小さな体なのに、随分存在感がある子でした。
部屋に入ると、「ピーヨ!ピーヨ!」と鳴きながら、羽をバタバタさせて這いまわる姿が目に浮かびます。
鳴き声、羽の音。とてもにぎやかでした。
1日に何度も水を飲ませ、エサを食べさせました(体を支えなければ摂取できなかったのです)。
水を飲むと、お腹がキュルキュルなるのを思い出します。
麦が好きで、一生懸命麦を探してついばんでいました。
口の周りのゴミを取り払うことも出来ないので、毎回ティシュで拭いてあげていたのですが、だんだん拭かれ慣れていました。
両手で包むと、安心したように眠る子でした。
昼間は、気持ちよさそうに窓の外を見たりもしていました。
手間はかかるけど、チャーミングないい子でした。
昨日今日と、部屋に行くたび、ピーヨがいないことを不思議に感じる自分がいます。
バタバタ!ピーヨ!と聞こえてこないことに違和感があるのです。
2か月でしたが、本当に楽しい日々でした(卵の時からだと約3カ月です)。
しんどいことも多々ありましたが、あの子からたくさんのことを教わった気がします。
何より、あの子を見るたび、「生きてるってこと自体がなんだか素敵だな」と感じました。
(などと言葉で書いたところで誰にも決して伝わらない感覚でしょうけど・・・)
ただ・・・・、自分は家畜を飼うのには本当は向いていないなあ、とつくづく思います。
なんだか、割り切ることが難しいです。
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心がものすごく動く、濃密な時間だったことと
存じます。
やるせなさとか、嬉しさとか。言葉にすると
チープですね。ご容赦を。
ぜひ、ぴよちゃん含め、いのちのこと、
授業してくださいね。
動物=「かわいい」もしくは「かわいそう」
じゃないところを伝える機会、そうそう
ないので。
収穫が落ち着いたら、相談させて下さいね。
とてもとても、濃密な時間を過ごさせてもらったと感じています。
学びの多い日々でした。
「学校」というヴァーチャルな場で、「言葉」によって伝えることの限界をより強く感じるようになってはいますが、僕の感じるリアルを少しでも感じ取ってもらえるよう、努力したいと思います。
本当はすべて、「体感」しなければ本当のことはわからないのですけどね。
学校がもっと体で学ぶ場になればいいなーと思いつつ。