2013年01月29日

ウンコになって考えた。

とっても大事なことは、「ウンコとは何か」ってことです。
僕らは、真剣に、しかし楽しくそれを考え続けていきたいと思っています。

まず、最初に一つの<結論>を述べておきましょう。
「この世界の半分はウンコでできている。だから、ウンコになって考えなければ、ホントウのことはわからない」

極論、と思われるかもしれません。でも、僕は本気でそう考えているのです。



1月27日(日)、厳寒の公開講座『糞土師を囲む会』を行いました。
このタイトルは僕がつけたもので、講師である糞土師・伊沢さんから伝えられていた講演タイトルは、ずばり『ウンコはごちそう』でした。
この、「タイトルをどうつけるか?」って問題は、今回の講座(座談会含む)や伊沢さんを翌朝駅にお送りするまでの間中議論していたテーマでもあります。
<ウンコ問題>が最大級に重要で、誰しも絶対に!避けて通れない話であることは自明の理。そして、一旦話に加われば間違いなく「オモシロイ!」もしくは「なるほど!」と感じてもらえる、ということもわかっているのです。

「第一声をどう投げかけるか」が鍵だと僕は考えています。だから、オブラートに包んだ表現で興味を持ってもらい、つい参加してしまった人にちょっとずつウンコに触れてもらえばいいんじゃないか、というのが僕の考え(ホントに触らせるわけじゃないですからね!)。

それに対し、いきなりウンコを投げつけてしまえ!ってのが伊沢さんの考え(苦笑)。
それもわかるのです。
伊沢さんの言うとおり、<ウンコは良識の踏み絵>だと僕も思います。どんなに環境問題に興味を持っていても、「循環する社会が大事」とか「有機的なつながりを」とか言っていても、ウンコに向き合うことができないのならそれは片手落ちです。「原発反対、それも良し。けどアンタは自分のウンコの行く末をわかっていますか?!」ってことです。
伊沢さん、いろんな経験を経て「本質を突きつけて受け入れられない人はとりあえず放っておくしかないんじゃないか」と現在は考えているようです。

だけれど、「ウンコに対して抵抗を持つのが立派なオトナ。」という強靭な常識があるのも悲しいかな現実で、その間の壁を崩壊させるためにも、<あっち側にいる人>を取り込みたいって僕は思ってしまうのです。「出入り自由です!」って。
また、「なぜそこまでウンコ(糞)が忌み嫌われるのか」って観点も重要で、そのあたりも今回のテーマであったように思います。



前置きが長くなりましたが、気持ちの良い青空の広がる冬の午後、『糞土師を囲む会』は始まりました。
参加者数の少なさがとっても心配だったのですが、なんとか10数名の勇気ある方々にお集まりいただき、講座はスタート(来てくれた皆さん、本当にありがとう!!)。



お話は、自然保護運動にかかわっていた伊沢さんがキノコ写真家となり、やがて現在の糞土師活動を始めるようになった経緯や理由を交えつつ、「伊沢さんの野糞が土中でいかに変化していくのか」を徹底分析。美醜混在したスライドによって辿るその痕跡は、「自然がいかにドラマチックであるか」を伝えてくれます。
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ウンコに対する僕の考えや伊沢さんの論は、このブログでも散々書いているので今回は割愛しますが、<糞土師の主張>を一言で表すなら、「ウンコはゴミじゃない!素晴らしいゴチソウなんだ!」ってことだと思います。
伊沢さんが講演タイトルとしてこだわっている「ウンコはゴチソウ」は紛れもない事実。美しく輝かしいこの世界の<理>です。そのことは、伊沢さんの写真を目にすれば、子どもでもわかります。

ウンコに集まるハエも、キノコも、ミミズも、様々な菌類も、植物(の根)も、ウンコが何かに食べられてポッカリと空いた土中の穴に住まうリスも、その小動物を食べるキツネも、この世界に生きるすべてのイキモノは、何かを食べることで生命を維持します。人間はもちろん、植物だっていろいろなものを摂取しながら生きています(だから生物学用語の「独立栄養生物」なんて誤った言葉だと僕は思っています)。
じゃあ、「イキモノは何を食べて生きているのか」って言えば、<生物>か<死物>です。死物ってのは<死体>か<ウンコ>です(生物から離れた毛や爪や葉なんかも死物ですけど)。僕ら(イキモノ)は、生物や死体やウンコを食べることによってしか、生きられません(植物はちょっと生命観が違うから補足説明必要でしょうけど)。

米という生物(精米されたら死物かなあ)。
菜っ葉という生物(半分死物)。
味噌という生物と死物の混ざり物(半分はイキモノの排泄物)
鳥肉という死物。
酒という死物(微生物の排泄物)。

来る日も来る日も、僕らは何かの死体かウンコを食べて生きています
そして、普通の生き物は皆、絶対に!自分のウンコや死体などを他のイキモノに提供して、生命をつなげていきます
普通ではないイキモノ、・・・ニンゲンを除いては。

「殺して食う」のも「死物を食う」のも当たり前の話。
良いも悪いもない、自然の摂理。
ニンゲンが決定的に<ダメ>なのは、散々食っておいて(しかも尋常じゃないエネルギーを使っておいて)、死体もウンコも提供しない、って点にあるんじゃないか(しかもさらに膨大なエネルギーを使って<処分>してしまう)。
ウンコは(次の生命にとって)ゴチソウなんだよ!

・・・それが、40年間野糞を続けてきた糞土師・伊沢さんのメッセージ。
僕はハゲシク共感します。

だからといって「今日から日本全国トイレを潰して国民総野糞だ!」なんて言っているのではありません。
伊沢さんは、野糞を続けることで見えてきた<理>を僕らに伝えてくれるだけです(爆笑ものの<野糞武勇伝>を交えながら)。
そして、「ウンコという言葉に顔を曇らせる常識」や「<糞>という字すら忌み嫌う社会」に対し、「どっか違ってやいないか?!」って語りかけているのです。

ウンコを通して見えてくる、自然の摂理、社会の常識・非常識、そして死生観。
『ウンコになって考える』・・・の意味も、座談会やその後の交流会まで参加していただいた方には感じていただけたのではないかと思います。
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交流会後も、我が家に宿泊された伊沢さんと「糞土研究会」北海道支部を取りまとめいらっしゃる落合さんと、旨い酒を飲みつつ深夜まで<ウンコの視点で>語り合ったのでした・・・。

そして翌朝、もちろん<今日のひと仕事>
お二人はそれぞれの仕事場へ。
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(野糞にも、大切なマナーがあるのです!)


いい仕事をしてきた3人で記念写真。
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ちなみに落合さんは、伊沢さんが写真家として第一線で活躍されていた20年前からのおつき合いとのこと。糞土師の遍歴を知る貴重な証人でもありました。
その落合さん曰く、「伊沢さんの写真は本当に素晴らしいのです。糞土師活動もいいけど、もっと写真を撮って欲しい・・・」。

そうなのです。
僕も伊沢さんの作品はたくさん持っていますが、とても美しいものばかりです。
そこには、<小さき生きものへの愛>が溢れています。

伊沢さんの野糞には、彼らへの愛が詰まっているのだと思います。
(なんかいい話だなあ)


最後に、「厳寒の公開講座」らしいエピソードを一つ。
糞土師伊沢さんは、用を足したあとのお尻を拭くのに、もちろん紙など使いません。豊富な経験によって「どの葉っぱが相応しいのか」をちゃんと知っています。
で、冬の北海道では・・・雪。
雪玉の先でキレイにするのですが、講座の翌朝、−14℃まで冷え込んでしまったためと適切な雪玉(拭き玉)はできず。結局少量の水で洗ったとのことでした。
なので、その日の野糞は5段階評価でレベル2。残念な結果でありました。
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毎日つけている「野糞記録」。さすがプロ。
タグ:ウンコ
posted by イトウ at 08:39| Comment(0) | 思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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