2013年01月14日

「必要をつくる」んじゃなく「必要ならつくる」。

たとえば、
「あー、カレンダー足りないねえ」
となったとき、
「買ってこなきゃ」
とまずは思っちゃうのですが、
「まあ、でも作ればいいかあ」
と思い直して、すぐに思考はそのデザインに向き、足は材料探しや調達に向かいます。

そんなことが習慣化しています。

なんでもそうなんだけど、「ここにあんなものが必要だな!」と思ったとき、それに合うものを<買う>のじゃなく<つくる>のはとても楽しいこと。
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ちなみに、<創作団ダイダラボッチ>は、モノづくりするときの僕らの屋号です。
ヒョウタンランプも味噌もドブロクもフェルト細工も、<創作団ダイダラボッチ>。
メンバーは、ニンゲン(若干名)とネコとニワトリとタネとミミズとコウジキンとコウボちゃんと・・・う〜ん、他多数。いや無数の僕の周りのイキモノたち。

「必要なものを買う」よりもまずは「つくる」という発想なのだから、「必要(需要)をつくる」なんてこと言われると、口がぽかんと空いてしまいます。
ずいぶん不可思議な発想じゃないかなあ。



新政権は、自らを「危機突破内閣」と呼ぶのだそうな。
金融緩和とか公共事業を増やしたりとか、経済に疎い僕には「なんとも前時代的な…」としか思えないのだけれど、たとえそれが「経済を活性化」させるとして、それが何になるのでしょう?
僕にはさっぱりわかりません。
バブル崩壊後、今までだって、それなりに景気がよかったり悪かったりしてきてるはずなのに、一般市民的にはひたすら「低迷してく感」ばっかり。どういうことなんでしょう?

テレビ持ってないから人の家にお邪魔した時に流れてるのを見ると、街頭インタビューなんかで「新政権には是非この不況を何とかしてもらいたい!」とか「景気が良くなって欲しい!」とか普通のオジサンオバサンが話してるのだけど、そこでいう<景気>ってのが何なのかすら、僕にはさっぱりわかりません。
感じるのは、「政府や経済学者が言う<景気上昇>と、この(インタビュー受けてる)人の思い描いてるものは違うのだろうなあ」ということ。
結局さ、庶民にとっては「モノが売れる」こととか「流通が活性化する」とか「企業所得が上がる」なんてことはどうでもよくて、要は「所得が上がる」ことが重要なんですよね?当然のこと。
一部の企業の儲けが多少上がったところで、それはそのお金が一般市民の方々の懐に入るのとイコールなんかじゃないと思うんだけどなあ・・・(つまり格差ばっかり広がるって話じゃ?これまでみたいに)。

まして、「無理やり需要を作ってモノをたくさん生産して買わせる」「モノもお金も動いて経済が活性化してみんなハッピー♡」・・・そんなやり方、この先も続けられるとは思えないのですけど。



僕は経済の話には弱い。経済誌とか読んでも全然面白いと思えない。だからこれは経済政策に対する考察なんかではありません。
ただ、感覚として、「必要なかったはずのものを必要な気分にさせられて買わされる」「誰かがたくさんつくって誰かがたくさん動かしてきたモノをたくさん買いそろえて暮らす」「たくさん儲けてたくさん買う」・・・なんてのは「つまらない!」って感じるだけです。

それよかさ、自分の手でつくった方がずっと楽しいって!
自分ではつくれないとしても、人となりの分かる人が大事につくってくれたモノをそれに見合うお金を払って買う方がずっと嬉しいって!

別に何してくれなくてもいいからさ、そういう暮らしの邪魔だけはしないでくれよな、安倍さん。
ほんとお願いします。

posted by 野良人イトウ at 07:45| Comment(1) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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